2015.10.04
地域の良きもの
こんにちは、大阪発公会計ブログ担当の船戸明(公認会計士)です。
私は、京都の宇治に住んでいます。
そして、我が家にはペットボトルのお茶が常備してあります。
いつも、このことに、何だか心苦しいものを感じています。
宇治と言えば、お茶の産地。商店街を歩いても、全国区となっているお店も含め、お茶のお店がたくさん並んでいます。
そんな地域にいながら、家の中で、急須と湯のみを使う機会は、ほぼありません。やかんでほうじ茶を沸かして飲んではいますが、出かけるときは、もっぱらペットボトルです。
小さい頃、実家では1人ひとりの湯のみが決まっていました。そういった30年前に比べて、何が変わってしまったのか。そんなことをふと考えることがあります。
少し前ですが、9月5日の日本経済新聞に、宇治茶の福寿園社長、福井正興さんのインタビュー記事が掲載されていました。その中で福井社長は、訪日客が増えていることに関連して、こんなことをおっしゃっています。
「『一期一会』ではないが、初めて宇治茶を飲む人の期待を裏切らないことが何よりも大切だ。商品を変えたり、英語で接客したりすることも必要だが、もっと本質的な部分で日本への憧れに応える『おもてなし』が必要だ。」
前半部分はその通りだと思うのですが、後半部分、外国人の需要を取り込む前にしなければならないのは、日本人自身が失いかけているお茶という文化をいかに尊重していくか、ではないでしょうか。おもてなしを施す側が、お茶の文化を大切にしている。それが「おもてなし」の最低限のマナーだと思います。
宇治の商店街を歩くと、分家した家同士が醜い姿を晒している光景も、よく目にします。どんな背景があるかは知りませんが、観光に来られた方にとっては、まったく関係のないこと。
宇治茶業界全体を見渡せば、きっと、そんな争いをしている場合ではないはずなのですが。
まずは、急須と湯のみを復活させよう。そう何度も思いながら、まだ実現にいたっていません。何かに追われる生活をしすぎている、ということなのかもしれません。ゆっくりお茶に向き合うのは、まさに、『一期一会』の時間に出会うことなのだと思います。