2015.05.24

自分の事として考える

こんにちは、大阪発公会計ブログ担当の船戸明(公認会計士)です。

 前々回取り上げた大阪都構想の話題。17日に住民投票が行なわれ、わずかの差で「反対」が上回り、大阪市の解体はなくなりました。

 今回の構想や住民投票について、思想家で武道家の内田樹(たつる)先生が、朝日新聞の夕刊に寄稿されています。まずは、その冒頭部分を引用します。

(全文は、こちら、で読めます)

「いわゆる「大阪都構想」と呼ばれる大阪市の解体構想についての住民投票が終わり、構想は否決された。数千票が動けば勝敗が逆転するほどの僅差だった。だから、この結果について「民意が決した」とか「当否の判定が下った」というふうな大仰なもの言いをすることは控えたいと思う。賛否いずれの有権者も「大阪の繁栄」と「非効率な機構の改善」と「行政サービスの向上」を願っていた点に違いはない。賛否を分けたのは、その目標を実現するためにどのような方法を採るのか、「急激な改革か、ゆるやかな改革か」という遅速の差であった。「独裁的、強権的」と批判された市長の政治姿勢も、賛成派には「効率的でスピードのある改革のためには必要な技術的迂回」と見えたことだろう。だが、遅速の差は、まなじりを決して、政治生命をかけて戦うほどのことなのだろうか。そんなのは話し合えば済むことではないのか。この常識を誰も語らなかったことに私はむしろこの国を蝕んでいる深い闇を見る。」
 
 
 
 大阪都構想もそうですが、たとえば、原発再稼動について、コマツ相談役の坂根正弘さんはこうおっしゃいました。

「再生エネルギーはもっと増やせる、原発はもっと減らせるというなら、我々が検討した以上のどんなことを実現すればできるのか聞きたい」(21日、日経新聞)。
 
 
 
 最近増えてきた「反対するなら対案を出せ」といった物言いに、私は、強い違和感を覚えます。現状を維持していく、急激な改革が生む負の側面を冷静に見つめる、起こったことへの責任と対処を求める。そういった姿勢に冷や水を浴びせ、「既得権益」「ムダの削減」「国内産業の空洞化」といった空虚な言葉で攻め立てる。そういった姿勢に、いい加減、嫌気がさしてきました。

 対案を出せ、といって対立している暇があったら、みんなが知恵を持ち寄って最善の道を見つける。もともと行政の仕事というのは、長い時間を要するものばかりでしょうから、知恵を磨き上げる時間をしっかり確保することが、対立して勝敗を決するより、よほど大事なことだと思います。
 
 
 
 内田先生は、どんな制度も運用するのは人である、とおっしゃっています。

「制度設計がどれほど適切でも、運用者に知恵と技能がなければ、制度は機能しない。逆にどんな不出来なシステムでも、「想定外のできごと」に自己責任で対処できる「まともな大人」が要路に一定数配されていれば、システムクラッシュは起きない。」

 制度が変われば、万事うまくいく。そんなことはあり得ません。そういったことを、1人ひとりが、少しだけ考える時間を持ったこと。今回の都構想問題で得た(と思いたい)一番大事なことは、1人ひとりの当事者意識が少し動いたことではないかと、私は思います。少なくとも、大阪市民でない私ですら、少しは考えましたので。



CONTACTお問い合わせ

PAGE TOP