2015.05.03
帳簿と世界史
こんにちは、大阪発公会計ブログ担当の船戸明(公認会計士)です。
『帳簿の世界史』という本があります。南カリフォルニア大学教授のジェイコブ・ソールさんの著作で、村井章子さんの翻訳により、文藝春秋から刊行されている書籍です。
その冒頭、フランスのルイ一四世の話題が登場します。
「・・・ルイ一四世は年に二回、自分の収入、支出、資産が記入された新しい帳簿を受け取った。あれほどの絶対的地位にいる君主が王国の会計に興味を示したのは、初めてのことである。太陽王が自分の王国の決算をつねに把握するために帳簿を持ち歩いたのだとしたら、これこそが近代的な政治と会計責任の始まりだったように見えた」(P.9)。
そして、次のようにも。
「会計責任とは、他人の財貨の管理・運用を委託された者がその結果を報告・説明し、委託者の承認を得る責任を意味する」(同)。
会社であれば、株主の財貨を出資として委託される。
国であれば、国民の財貨を税金として委託される。
自治体であれば、住民の財貨を税金として委託される。
その委託された結果を、委託してくれた人に説明し、理解をしてもらう。委託された財貨を、どう使い、その結果どのような効果が生じ、将来に向けてどのような展望になっていくのか。その説明責任が会計責任の原点だ、ということでしょう。
株主総会が形骸化しようが儀式化しようが、決してなくならない理由も、この基本構造にあるのだと思います。
それはさておき、帳簿の歴史を見ていくと、必ずイタリア、オランダ、イギリスの話題が出てきます。それも12、3世紀に遡り、ルネサンスや産業革命といった歴史の流れと切っても切れない関係が登場します。その度に思います。当時の時代の雰囲気を追体験しなければならない、と。
1340年にはジェノヴァ市政庁で帳簿が記録されていた。その事実を知ることが歴史を学ぶ、ということではないでしょう。想像力をフル回転して、当時の世の中の空気がどういうもので、人々がどんな生活をし、役人というのがどういう役割を持っていて、そしてどういう思いでこの帳簿が書かれたのか。自分の身を当時に置いて、想像すること。それが歴史を学ぶ、ということなのだと思います。
批評家の小林秀雄さんは、こんなことをおっしゃっています。
「今の歴史というのは、正しく調べることになってしまった。いけないことです。そうではないのです、歴史は上手に「思い出す」ことなのです。歴史を知るというのは、古えの手ぶり口ぶりが、見えたり聞こえたりするような、想像上の経験をいうのです」(昭和45年、「文学の雑感」と題した学生向けの講演、『学生との対話』新潮社、P.24)
帳簿の歴史から、世界の歴史を思い出す。『帳簿の世界史』という本がそんな旅の一助になるかは、今、始まったばかりです。1つずつ思い出しながらなので、かなりの時間がかかりそうですが、ゆっくり丁寧に読み進めていこうと思っています。