2015.04.05

公会計の有用性

こんにちは、大阪発公会計ブログ担当の船戸明(公認会計士)です。

 日本公認会計士協会近畿会が毎月発行している『近畿C.P.A.ニュース』という会報があります。その3月号に、奈良県の荒井正吾知事へのインタビュー記事が掲載されていました。

 インタビュイーは、近畿会の高濱会長。内容は、公会計や包括外部監査など、行政と公認会計士との関わりについて。その内容を少しご紹介したいと思います。
 
 
 荒井知事は、まず、奈良県では「エビデンスベイスドの統計重視」で行政の進捗を見ている、という話をされました。

「統計による改革」
「統計による医療改革」
「統計による教育改革」・・・

 その上で、「行政も会社と同じで、成果と直結するアクションを考えて、それを繰り返すしかないのです」と。ここだけ読むと首を傾げたくなる内容だったのですが、続きを読めば、行政であるが故の葛藤も感じられ、首肯できる話でもありました。荒井知事の次の言葉に、その葛藤が表れているのではないかと、私は感じます。

「教育や医療、産業は目標と結果の相関がすぐにはわかりません」

「・・・例えば公共事業で言えば、B/Cと言われるようなベネフィットとコスト、投資との比較をしようという試みであることです。このベネフィットは金銭ベネフィットではなく、公共インフラのベネフィットを重視しています。時間軽減というベネフィットは、なかなか金銭評価ができない面があるのですが」。
 
 

 このように荒井知事は、統計を重視した行政マネジメントを遂行しておられますが、その前提のもと、公会計について、いくつか重要な指摘をされています。

 たとえば、基準モデルと改訂モデルが統一されたことについて。

「規模や地勢が異なっているにも関わらず同一の会計基準を適用してよいのかという疑問があるのです。やはり大都市は土地代も建物もインフラ資産も多いに決まっているじゃないですか。もちろん、同一の基準を適用しないと比較はできないのだけれども、手間とコストをかける割には得られるものが少ないと考えています」。
 
 

 あるいは、管理会計的に公会計を活用できるようになれば、公会計が浸透していくのではないか、という意見について。

「広がればいいものではないですよ。良いものであれば自然と広がりますが、国主導での統一基準を適用させるのだから、これでは広がらないと思います」。
 
 

 もう1つ。公会計でもデータ重視の会計にしていこうとしている、という話について。

「いや、それであれば、事業の総体のデータをエビデンス重視・統計重視のマネジメントとしてとるか、決算報告重視としてとるかの違いでしかありません。私は決算報告のみからは、マネジメントで得られるほどのメリットはないのではないかと考えています」。

 資産については、次のようにも。

「資産のデータというのは、どんなふうに表示するかが重要で、金額のみでは意味がありません。特にインフラ系の資産については、資産の劣化やメンテナンスについての情報は、公会計というよりも、データベースということになるわけです」。
 
 

 公会計が議論され始めた当初は、荒井知事のご見解に対して、公会計にはこういう理念があるのです、と返す言葉がありました。でも、残念ながら、今はその理念がありません。ありません、と言うと言い過ぎかもしれませんが、少なくとも理念はぼやけてしまいました。

 今、お返しすることができるとすれば、行政の成果を金銭評価できないのと同様、公会計導入の効果も既存の視点では評価できない、ということくらいでしょうか。「利益」という大きな意味での統一基準がある民間企業とは異なり、行政には成果を統一の基準で計量する「ものさし」がありません。

 その「ものさし」になる可能性が公会計にはある。
 でも、それが「どういうものさし」になるかは、今ある既存の概念では説明ができない。
 
 

 投資と成果の相関関係が不明なものが、民間企業で導入される可能性は極めて低いでしょう。でも、そもそも投資と成果が不明という構造を内面化している行政においては、どうか。やや苦しいのですが、失われた理念を思い出しつつ語り継いでいく努力が、公会計の浸透には欠かせないのではないかと、私は思います。


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