2015.03.15
真実は1つ?
こんにちは、大阪発公会計ブログ担当の船戸明(公認会計士)です。
今日の日経新聞に掲載されていた「原爆、米にも歴史のトゲ」という記事はいい内容でした。
米ミズーリ州にある、トルーマン元大統領の記念図書館。
有料の教育プログラムに高校生が参加し、今第二次大戦末期だとして、どう戦争を終わらせるかを自分たちなりに考えたそうです。
トルーマン元大統領自身は、後悔の言葉を口にしなかった。
米国ではその決断を正当化する向きが多いものの、良心の呵責は残る、と。
いくつか感心した記述がありました。
たとえば、ニューメキシコ州にある科学博物館では、原爆に関して客観的な展示に気を配っている、といいます。そのため、原爆使用を擁護する当局側の見解と、非人道的な行為を非難する反核団体などの意見も併記しているのだとか。
もう1点。2012年に初めて被爆地を訪れたトルーマン元大統領の孫であるダニエルさん。その言葉に、強い覚悟を感じました。
「原爆の使用で救われた米国の退役軍人に、あの決断は間違っていたとは言えない。同様に日本の被爆者に正しいことをしたとも言えません。ただ和解の糸口を探る努力なら私にもできる。お互いの言い分をよく聞き、痛みを分かち合う。これがトルーマンの孫としての責任です」
「裏切り者」とののしる米国人。
「謝罪に来たのか」という日本人。
そんな中でも、分かち合う小さな努力を積み重ねていかなければならない、という覚悟を。
善と悪。
敵と味方。
民間と官庁。
何かにつけて二分法的な論法が目立ちます。「真実はいつも1つ」とは、名探偵コナン少年の台詞ですが、当事者の数だけ真実がある、という認識が共有されれば、物事は漸進していくと信じていたい。急進でなく、漸進でいいと、私は思います。