2015.02.15
記憶を緩めない
こんにちは、大阪発公会計ブログ担当の船戸明(公認会計士)です。
2月4日の日経新聞「経済教室」。
前鳥取県知事で、元総務大臣でもある片山善博さんが、地方創生に関して「富の域外流出 防ぐ工夫を」という寄稿をされていました。
まずは、その冒頭の指摘をご紹介します。
「落ち込んだ地方経済の立て直しや雇用の創出には、これまで様々な手を打ってきた。地域活性化しかり、過疎対策しかり。地方拠点都市構想も離島振興や半島振興もあった。今回は名前こそ耳慣れしないが、やろうとしていることは決して目新しいことではない。国も地方もそれらの施策に熱心に取り組み、巨費を投じてきた。その揚げ句が今日の地方のありさまである」。
続けて、次のような指摘を。
「これまでの施策のどこが悪かったのか、何が欠けていたのかを点検するところから始めなければならないのに、それをした形跡がない。過去の検証がなければ、今後に生かすべき教訓もない」。
おそらく、過去の検証などできないのでしょう。検証をすれば、うまくいっていないことの責任問題が浮上するはず。誰も積極的に責任を取らず、時間の経過とともに記憶が薄れるのを待つ、というやり方は、もはや日本のお家芸とすら感じてしまいます。
片山さんの記述を見て、はたと思いました。
何も目新しくない。
何もやっていない。
なのに、掛け声だけは大きく聞こえてくる。これは、政治家の問題なのか、メディアの問題なのか、自分の関心のもちどころの問題なのか、と。
昨日読み始めた小幡績さんの『円高・デフレが日本を救う』(ディスカヴァー携書)。その前半で、アベノミクスを冷静に分析されています。
「アベノミクスとは、痛みを伴わない短期の刺激策を集中して行い、コストとリスクは先送りする、という政策である。その意図は実現した。
金融政策により株式市場のミニバブルが起こり、大幅な円安が進行している。意図通りのことが起きた。だから、アベノミクスは成功したのである。
唯一の問題は、アベノミクスの成功により日本経済が悪くなったことである」(P.44)。
続けて、次のような指摘を。
「前述したように、アベノミクスは、金融政策による株高、円安と、財政政策による短期的なGDP増加率のかさ上げであるから、それが経済の長期的発展に資することはない。
政策により、実体経済は何も変化していないし、これからもしない。何もしていないのだから、何も起こらないのは当たり前で、地方経済は、今後もこの二年間とまったく同じ構造であり続ける」(P.48)。
片山さんと小幡さんの指摘に通底するもの。それは、結局のところ「掛け声だけで、何もしていない」ということではないでしょうか。
そして、何もしていないはずなのに、何だか世の中動いているように感じてしまう。政治家の言動しかり、メディアの報道しかり。そうした実態と掛け声を冷静に見つめ、違和感を抱き続けることの大切さを喚起されている。お2人の文章を、私はそんな思いで読んでいます。
1964年の東京オリンピックに向けて、日本が改造されていった。もちろん、豊かになっていったという側面もあるのでしょうが、その側面しか覚えていないのは「記憶の仕方が緩い」とおっしゃったのは内田樹(たつる)先生です。
経済発展という正の側面の裏側で、東京の景色は確実に壊れていった。その負の側面を強く記憶されているからこその言葉なのだと思います。
時代の記憶を緩くしない。
今、何が起こっているのか。
自分の目で見て、自分の頭で考える。
「記憶を緩めない」という言葉が、頭の中で何度も何度も反芻しています。緩めないためには、この一瞬をどう過ごしていけばいいのか、と。