2016.07.03

被害者と加害者

こんにちは、大阪発公会計ブログ担当の船戸明(公認会計士)です。

 昨日、家族それぞれに用事があって、ぽかんと時間が空きましたので、自民党の憲法改正草案をじっくり読んでみました。

 その感想やまとめはツイッターで書きましたので、そちらに譲るとして。

 1つ、新たに追加されている条文で、気になったのが新「第25条の4」。「犯罪被害者等への配慮」というタイトルが付されたこの条文は、次のような文章です。

「国は、犯罪被害者及びその家族の人権及び処遇に配慮しなければならない。」

 一読して、私は違和感を覚えました。もちろん、犯罪被害者やそのご家族への配慮は必要でしょう。ただ、それは憲法に規定しないといけないことなのか。逆に加害者やその家族の人権は、被害者のそれに劣るのだろうか。いや、仮に劣るにしても、それは社会道徳の世界の話で、憲法に明記することで何か別の問題が生じないのだろうか。

 そんな疑問が噴出してきたのです。
 
 
 たまたま今朝読んでいた本に、その疑問を言い当ててくれる表現がありました。映画監督の是枝裕和さんが最近出版された『映画を撮りながら考えたこと』(ミシマ社)です。

 2001年に公開された『DISTANCE』という映画で、加害者家族に焦点をあてた是枝監督は、犯罪についてこうおっしゃっています。

「犯罪というものは犯罪者個人の問題ではなく、私たちが生きる社会の膿のようなものが犯罪として出てくるのであって、それは決して自分たちとつながりがないわけではない」(P.117)。

 そして、次のように。

「確かに社会は私たち市民を守るために法律をつくり、その法律は犯罪者を罰します。
 しかし社会というものはその犯罪者が真に更正したときには、もしくは更正するために、もう一度受け入れるセイフティネットでありつづけないといけない。法律で罰せられることと、社会が彼らをいつか赦して受け入れていくことは、決して矛盾しないものとして両立しないといけないのです。日本には残念ながら、社会に対するそういう成熟した考えが根づいていません」(P.124)。

 そして、根づいていない結果、新「第25条の4」のような条文が登場した。そういうことではないでしょうか。
 
 
 憲法のことなど、考えなくてよい日々は幸せです。そういう日々が守られることを、切に願うばかりです。




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