2016.05.01
自分の事として
こんにちは、大阪発公会計ブログ担当の船戸明(公認会計士)です。
今日の日本経済新聞に「自民党改憲草案を読む」という記事が掲載されました。私の記憶が定かであれば、平成24年4月27日に決定した自民党改憲草案をある程度まとまって取り上げるのは、今回が初めてではないでしょうか。
日曜日。しかもゴールデンウイークの真っ最中。ウィークデイの半分くらいしか紙面を見る人はいないと思われますが、それでも、取り上げられないよりはまし。
そう思って読んでみたら、あまりに他人事のような書きっぷり。驚くを通り越して呆れてしまいました。
たとえば、前文の主語から「日本国民は」が削られたことについては、「代表的な批判は、・・国民主権を後退させるというものだ」。
「公共の福祉」が「公益および公の秩序」に置き換わったことについては、「人権を抑制する恐れはないか、心配する声がある」。
「自衛隊」を「国防軍」とすることについては、「自民党内にも「わざわざ変える必要があるのか」との慎重論がくすぶる」。
さらに現行の「個人」という言葉がすべて「人」に置き換わっていることには一切触れず。あと、緊急事態条項については、「自民党は「・・ほとんどの外国の憲法で盛り込まれている」と必要性を訴える」。
ちなみに、外国の憲法でうんぬん、がいかに不誠実な指摘であるかは、たとえばこちらで詳しく述べられています。
http://webronza.asahi.com/politics/articles/2016030100008.html
メディアとしての主張が何もないこの記事。あくまで、考えるきっかけを与えようと思っただけ、と善意に解釈することはできるのかもしれません。
が、とにかく、ここ最近感じることは、世の中の変化は遠くで起こっているのではなく、自分の近くで起こっているのだということ。物理的に離れていても、必ず、自分の子どもや孫の世代に関わってくる話であるということ。
千葉県市川市で、地元住民の反対により保育園開園を断念した、というニュースがありました。
これも、2つの遠さを乗り越えて、自分のこととして考えなければならない問題だと思います。1つは、地元住民を非難する論調に安易に乗っかっていいのか、という問題。そしてもう1つが、保育園が必要という総論賛成でも、自分の地元に同じ問題が立ち上がったとき、果たして自分はどう考えるのか、という問題。
「保育園落ちた 日本死ね!」というブログが話題になりました。保育園を作らなければならない、ということに、総論で反対の人は少ないでしょう。でも、それが近隣地区であれば・・・
この「遠くは賛成、近くは反対」問題は、東日本大震災以来明らかになったあらゆる問題に共通していることでしょう。
自分に何ができるかは分かりませんし、何もできないかもしれません。でも、少なくとも、様々な問題を自分のこと、子どもたち・孫たちのこととして「考える」ことくらいはできるのではないでしょうか。「祈る」ことくらいはできるのではないでしょうか。
他人事すぎる記事を見ながら、そんなことを考えています。