2023.11.12

念ずれば花ひらく

こんにちは、公(会計)ブログ担当の船戸明(公認会計士)です。

 昨日の土曜日、堺の実家に帰ったときのこと。少し時間があったので、最寄りの堺駅からいつもの最短コースではなく、これまで通ったことのない(あったけれど忘れている)道を歩いて実家に向かいました。

 未知の世界への好奇心などという高尚な話ではなく、父と食事をする適当な店がないか探そうという実際上の必要性に基づいた選択です。

 実家で過ごしていたのは今から25年も前のこと。当時は近所で外食する習慣など一切ありませんでした。あったとしても、25年前とは店の顔ぶれも変わっているでしょう。実家に帰るたびに同じ店に行ってもいいのですが、新しい店に入る鼓動の高まりも味わいたい。幸い、まったく食にうるさくない親子ですから、結果的にどんな店でも文句の出ようがありません。

 そう思っていつもと違う道を歩き出した直後、詩の言葉を刻んだ石碑を見つけました。「念ずれば花ひらく」というタイトルです。

  念ずれば
  花ひらく
  苦しいとき
  母がいつも口にしていた
  このことばを
  わたしもいつのころからか
  となえるようになった
  そうしてそのたび
  わたしの花がふしぎと
  ひとつひとつ
  ひらいていった

 驚きました。詩の言葉にではなく、今朝、新聞でこの詩の話を読んだよな、という偶然に。11日の日本経済新聞に掲載された若松英輔さんの「言葉のちから」という連載で、坂本真民さんの「念ずれば花ひらく」が紹介されていたのです。

「この詩人は詩壇と呼ばれるような場所とはまったく異なる場所で詩を書き続けてきた。別なところで彼は、遊行僧だった一遍が、人々に「南無阿弥陀仏」と記された紙の札を手渡していったように人々に言葉を届けたいと思った、と述べている」(11日、日経)。

 結果として、その言葉は詩碑という形で人々に、少なくとも私にも届けられました。そして、父と食事をしながら(適当な店を見つけたということにしておきましょう)、いつもと同じように、たわいもない話を繰り返す。でも、こういう時間こそが大事なのだと、最近感じるようになっています。念ずれば花ひらく。いや、実は、小さな花は、もうひらいているのかもしれないと。


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