2023.10.29

観光を消費しない

こんにちは、公(会計)ブログ担当の船戸明(公認会計士)です。

 実家が南海本線沿線にありますので、高校、大学時代にもっとも縁があったのは南海本線でした。ただ、南海電鉄には「本線」と「高野線」があり、本線はなんばから和歌山へ、高野線は高野山に向かいます。本線沿いに住んでいたので、高野線には縁がなし。昨日、初めて高野線の端から端まで乗車する機会を得ました。高野山を歩きに行ったのです。

 なんばからまずは和歌山県の橋本まで。極楽橋(前々から思っていましたがすごい名前です)行きに乗り換えて、途中の九度山で下車します。そこから「町石道(ちょういしみち)」という道を歩く予定でした。

 九度山町には慈尊院があります。「慈尊院は、弘仁7年(816年)弘法大師(空海)が、高野山開創に際し、高野山参詣の要所にあたるこの地に表玄関として伽藍を草創し、一の庶務を司る政所、高野山への宿所、冬期の避寒修行の場所とされました」(九度山町ホームページ)。

 空海が生まれたのは香川の善通寺。「「我が子が開いている山を一目見たい」弘法大師の御母公が香川県の善通寺より訪ねてこられました。しかし、当時の高野山は女人禁制でありましたので、弘法大師の元には行くことができず、この慈尊院で暮らしておられました」(同)。

 空海が慈尊院にいる母を月に9度訪ねてきたので「九度山」と名付けられたという説もあるようです。町石道は九度山町の慈尊院から高野山までの21km。決して険しい道ではないのですが、とにかく距離が長い。ただ、今年の大雨により途中までの道を歩けず迂回(ショートカット)しましたので、それでも15km以上は歩いたのだと思います。

 迂回したおかげで、九度山町で開催されている「くどやま芸術祭」に触れることができました。「町が丸ごと美術館に」とある通り、歩けば美術品に出会う。急がば回れで、なんだか得した気分です。

 町石道の説明も引いておきましょう。「九度山町から高野山へと続く約21キロの道程で、今も一町(109m)ごとに卒塔婆石が残り、歴代天皇や法皇、関白や将軍をはじめ一般庶民が、現在に至る千余年の間、ふみかためてきた信仰の表参道です。その入り口となる180町石がこの慈尊院にあります」(同)。

 九度山はなぜ九度山なのか。町石道とはどんな道なのか。高野山と京都の東寺はどのような関係にあるのか。少しだけでも事前知識を勉強しておくと、ただ歩くだけでなく、物語を感じながら歩き、見聞きし、感じることができるのだと思います。

 観光を消費しない。生活を消費しない。最近、強く意識しています。ちなみに、南海電鉄は日本最古の私鉄という話も聞きました。帰りに乗った高野山から極楽橋へのケーブルも含め、足はパンパンになりながら、紅葉の秋を楽しんだ極楽の1日です。


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