2023.10.21
子に育てられる
こんにちは、公(会計)ブログ担当の船戸明(公認会計士)です。
いつだったか、たまたまテレビで何かのドラマが放送されていました。ある夕食時、フラフラしているように見える息子が帰ってきた。お母さんが「ご飯は?」と聞く。息子が「外で食べてきた」と答える。期待通り(?)昭和の親父が不機嫌さを隠さずに言う。「気楽でいいな。仕事もせずに、誰のおかげで外で食べられると思ってるんだ」。息子は「どうもすみませーん」と受け流す。
バカは息子なのか、親父なのか、両方なのか。そう思いながら見ていた記憶があります。
両親から何をもらったか。たくさんあるのですが、もっとも大きいものは無制限で無条件の愛情だと感じています。落ち込んでも、兄弟げんかをしても、受験に失敗しても、飲んだくれて帰っても、とにかくいつでも理由を問われることがなかった。何かを問い詰められた記憶がまったくありません。もちろん、誰のおかげで飯が食えてるんだ、なんて言うはずがない。
そうした環境で育ったので、子どもたちと接するときも同じです。問い詰めない。見返りを求めない。理由はどうでもいい。常に今が最善で、今がゼロで、少しでも前に進めるようにすればいい。両親から無制限で無条件の愛情をもらったのですから、親に返せるうちは返して、でも返しきれないので無制限かつ無条件に子どもたちにパスしていく。もらいっ放しでは罰が当たります。
日曜日の毎日新聞。毎週楽しみに読んでいるのが、作家の高橋源一郎さんが答える人生相談です。9月24日の相談は、適齢期の娘たちが親の気持ちを分かってくれない、という52歳男性からの相談でした。幼少期に偏食を厳しく指導したことが原因だろうと。
高橋さんは、まず、子育てについての考え方を述べます。「わたしは、「子育て」を最優先事項にしてきました。けれど「親の気持ちを分かってもら」いたいと思ったことは一度もありません。子どもを育てるという貴重な経験をさせてもらいました。そんな素晴らしい贈り物を受け取ったのだから、他には何も必要ないからです」(9月24日、毎日)。
自分が何かをしてあげているのではなく、自分が何かを受け取っているという感覚は同じです。実際、子どもと過ごさなければ気づかないことは山ほどありました。その発見を忘れてしまうのはもったいないので、最近、発見や閃きを五七五七七に書き残しています。
それはともかく、高橋さんはそもそも誰の気持ちも分からないと話を展開したうえで、こう語りました。「あなたが嫌われているのは、幼児の頃の「偏食」問題のせいではなく、あなたが傲慢だからだと思います。「子育て」もしなかったのでしょう。わたしがあなたの娘なら、話すのもイヤです。こんな親とは」(同)。
先のドラマも、今回の相談も、やはりバカは親のほうだったようです。でも、笑っていられない。親バカは卒業したつもりですが、バカ親にならないよう、常に意識しておく必要がありそうです。