2023.09.10

老いの始まり

こんにちは、公(会計)ブログ担当の船戸明(公認会計士)です。

 先月末、佐渡に行った話は書いたと思います。そもそも佐渡に関心を持ったきっかけが、能の世阿弥が晩年に流された場所であったこと。能を見たことはありませんが、能楽師の書いた本や能の構造には興味があり、つい先日も本屋さんで『能の本』(西日本出版社)という本を見つけて購入しました。

 宝生流能楽師辰巳満次郎さん監修で、「短編小説のように楽しめる「ものがたり」20曲」「演目の世界観が一目でわかる「マンガ」」「声に出して読みたい「そそる台詞」」「満次郎の「ここが面白い」」と帯文にあり、とっつきやすそうだと。ただ、いかんせん、ズシリと重い本で持ち歩くには向きません。気が向いたときに、自宅で読んでみようと思っています。

 そうこうしていたら、今日の日本経済新聞に、人間国宝である観世流能楽師の大槻文蔵さんが紹介されていました。600年以上続く伝統芸能ながら、常に新しい取組みに挑戦し、昨年は世界的ピアニストとも共演したのだとか。「文蔵さんはこれまで、異ジャンルとのコラボレーションを重ねてきたが「すべては能の再発見のため」。70年を超える芸の道を歩んでなお新たな挑戦を続ける訳を尋ねると「『老後の初心』の心境です」。多くの経験を経た老後にさえも芸を学ぶ初心があり、それを忘れずに芸の向上を目指すべしとする世阿弥の言葉に現在の心持ちを重ねる」(10日、日経)。

 以前にも紹介した通り、世阿弥の言う初心は、今よく使われる意味での初心とは少し違うのだと思います。宝生流能楽師、安田登さんの解説はこちら。

「初心の「初」の字は「衣」と「刀」です。着物をつくるときに、布地に最初に鋏を入れること、それが「初」です。着物をつくるときには、それがどんなに美しい生地であっても、そこに鋏を入れなければつくれない。それと同じように、人は変化しようとするとき、どんなに辛くとも自分自身に鋏(刀)を入れ、過去の自分を切り捨てなければならない。そのように過去をどんどん切っていきながら、変化し続けなくてはならない、その教えが「初心、忘るべからず」です」(『あわいの心』、ミシマ社、P.102)。

 思えば、佐渡に行きたいと思い始めたきっかけとなった藤沢周さんの小説、『世阿弥 最後の花』も、世阿弥の心境の変化をものの見事に表現していたのでした。大槻さんは言います。「古いことをやってもまだまだ発見がある。新しいことに挑戦すればなおのことです」(10日、日経)。

 今の環境に居着いていないか。毎日、毎週、毎月、毎年の繰り返しでも、その繰り返しから新しい何かを発見しているか。そして、時に大きく環境を変えて、新しいことに挑戦しているか。楽に流れたときに、つまり初心を恐れたときに、年齢とは別の「老い」が始まるのではないでしょうか。初心は忘れてはならないと同時に、恐れてもいけないものなのです。


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