2023.06.03

船で島に行く

こんにちは、大阪発公会計ブログ担当の船戸明(公認会計士)です。

 藤沢周さんの『世阿弥最後の花』(河出書房新社)を読みました。確か、最初は、新聞の書籍広告で目に留まり、「面白そうだ」と思った記憶があります。能を見たことはないけれど、興味はあり。能楽師の本も何冊か読んでいます。

 広告だけでは購入に至らず、さらに数か月経ったとき、日本経済新聞に藤沢さんの寄稿文が掲載されました。「洗練された思考、即効性のあるメソッド、インパクトのある手段…。それは今の若者たちの方が圧倒的に長けている。それらのきらめくような才気を磨きつつも、数字にならないもの、すぐに結果が出ないものを視野に入れておいて欲しいとも思うのだ」(1月22日、日経)。

 やはり読んでみよう。こういう文章を書く方の小説に間違いはないはず。そう思って前掲書を購入。苦手な歴史ものだけに読み通せるだろうかと感じていた不安は杞憂でした。みるみる物語に惹きこまれ、読み終えた今、佐渡島に行ってみたいという思いを強くしています。

 世阿弥は70歳を超えてから、足利6代将軍義教の怒りにふれ、佐渡に流刑となりました。では、都が恋しいのか。その心境が、佐渡での数々の出会いを経て変化していきます。いや、小説ですが、きっと実際に心境は変化したのでしょう。作家は世阿弥にこう語らせています。

「昔はこの舞で名望を得た、若き頃はこの謡で賞賛を受けた、とこだわってしがみついていては、そこで己れの芸が止まるということである。この地は、……己れをも試している。父観阿弥の形見である鬼神面の中で、都恋しさに涙を流そうと思うていた己れの、なんと情けなきことよ」(P.250)。

 もう1人、世阿弥よりもはるか前に佐渡に流されたのが、順徳上皇です。「第84代の天皇に即位された順徳上皇は、父である後鳥羽上皇……による鎌倉幕府の打倒計画に参画し、承久の乱を引き起こしたものの、鎌倉幕府の執権であった北条義時を中心とする幕府軍によって鎮圧され、乱の首謀者として1221年に佐渡に流されました。在島22年、都へ帰ることは許されず、46歳で崩御されました。行在所であった黒木御所や火葬塚である真野御陵など、多くの遺跡や伝説などが残されています」(佐渡市公式観光情報サイトより)。

 上皇の無念が小説の重要な土台の1つになっています。真野御陵での描写も、鬼気迫るものがありました。「順徳院に限らず、人の生き死にのどうにもほどけぬ宿根の結ぼれに、我が首を絞められ、息絶えんとする時に出てくる言の葉こそが、能の詞章ではなかったか」(同)。

 ああ、なるほど、聖地巡礼というのは、こういう気持ちのことを言うのでしょう。初めて知りました。本を読んだ。映画を見た。そのゆかりの地を訪ねて、さらに物語の世界を実感してみたいと。もっとも、訪ねたところで世阿弥のような感じ方ができるとは思えません。そもそも帰る場所があるから訪ねるのであって、流刑になるということがどういうことなのかも実感できるかどうか。その物理的な距離を感じるためには、写真やオンラインではダメで、少なくとも船に乗る必要があるでしょう。この夏、機会をつくりたいと思います。


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