2023.03.12
カタツムリの住処
こんにちは、大阪発公会計ブログ担当の船戸明(公認会計士)です。
自宅から駅に向かう途中にある古い家。道路との間にブロック塀が立っていて、ほぼ毎日、その横を通って駅まで歩いています。雨の日や湿っぽい日には楽しみが1つ増える。その塀にどこからやってくるのか、カタツムリが登場するのです。
「陸棲の巻貝の仲間で、乾燥していると殻の中でじっとしているが、雨降りなどで湿気の多い時期は這いまわる。ブロック塀に生えたコケなども食べるが、主には草花や広葉樹の葉を食害する」(住友化学園芸ホームページより)。
カタツムリの動きを、さすがにじっと見続けることはできません。「カタツムリ 生態」でググると、それなりに情報が出てきます。乾燥を避ける。冬は冬眠し夏は夏眠する。大きいものでは数年生きる。雄と雌の区別がない、などなど。今話題のチャットGPTを使えば、より様々な情報が得られるのかもしれません。
とにかく不思議な存在で、雨は気持ちが晴れませんが、「今日はカタツムリがいるだろうか」と思える点ではありがたいブロック塀だったのです。
その古家が、最近、完全に取り壊されました。家が壊されていく様子を見ながら、「カタツムリがどうなるのだろう」と考えていた。その数日後、ブロック塀も完全に撤去。おそらく地ならしされ更地になった場所を探せば、カタツムリの死骸が見つかるのだと思います。
人間から見れば、古い家を解体して、広い土地を生みだし、新たな用途に再利用していく発展的な行為かもしれません。でも、カタツムリからすれば、寝耳に水の行為でしょう。突然、圧倒的な暴力によって自分たちの住処が奪われる。不条理以外の何物でもない。1軒の家のブロック塀に限らず、大きな施設でも同じことがあります。京都サンガFCの本拠地を亀岡に建設する際は、アユモドキの生息地だということが話題になっていました。
何も、カタツムリの住処を守ろう、という話をしたいのではありません。そうではなく、何かを作るということは、何かを壊すということ。同じ人間同士でもそうですし、人間と別の生き物という視点でも、何かの犠牲の上に、今の生活や環境が成立している。そもそも食事を考えただけでも、何かの命をいただかないことには人間としての生活が成り立ちません。そのことに謙虚でなければならないと感じるのです。
新しく、広くなった更地は、どのように活用されるのでしょう。横を通るときに新たな楽しみが生じるかどうか。今は更地にやってくる鳥たちの姿を眺めています。