2023.02.05

選挙に出る人たち

こんにちは、大阪発公会計ブログ担当の船戸明(公認会計士)です。

 今年は統一地方選がある――先日、ある方と会話をしていて、そんな話になりました。「へえ、そうなのですね」と他人事のように答えつつ、そもそも何が統一されているかも分かっていない自分がいます。

「統一地方選挙は地方自治体の知事や市区町村長と議員の選挙について、投票日を統一して全国一斉に行うもので、4年に一度行われます。前半戦では、知事や道府県議会議員の選挙、政令指定都市の市長選挙と市議会議員選挙が行われ、後半戦では、政令指定都市以外の市区町村長選挙と市区町村議会議員選挙が行われます」(1月10日、NHK)。

 では、なぜ統一するのか。「総務省によりますと「投票日を全国で同じにすることで、国民の選挙に対する関心を高めることや、選挙を円滑に効率的に行うことを狙いとしている」ということです。また、複数の選挙の投票を同じ投票所でできるため、投票所を借りる費用などの経費を抑えることにつながるメリットがあるとしています」(同)。

 ただ、統一率100%が達成されたのは1947年の第1回のみ。その後、首長の辞任や議会の解散により日程がずれていき、前回2019年の統一率は27%台でした。カニカマにカニが含まれていない程ではないにしろ、統一選挙なのにさほど統一されていないようです。

 関心が高まったからではなく、たまたま、「出馬するような人には投票したくない」と語ったこともあるコラムニスト、故小田嶋隆さんの文章を読みました。「しがらみから逃れられなくて選挙に出てみる。」というコラムで、小田嶋さんは日本の選挙の本質を喝破しています。

「関わる人間が日本人である以上、選挙は必ずや田舎くさい泥仕合になる。例外はない。山と積まれた一升瓶と、白い手袋と、デカい達磨(だるま)と、手を合わせてからメシを食う奇妙な割烹着のババアたちと、一日中あぐらをかいたり寝転がったりを繰り返す赤ら顔のオヤジ連中が主導するこの野蛮な集団行動を近代化する方法は、いまだに発見されていないのだ」(『諦念後』亜紀書房、P.125)。

 コラムのタイトルは「選挙に出てみる」ですが、もちろん、小田嶋さんが出たわけではなく、近くにいた政治家の観察や日本社会の考察から生まれた文章です。冷静に考えて地方議員は悪い仕事ではない。ただ、懸念は選挙だ、とも語りました。「これは、たしかにキツい。シャイなタイプの紳士や、対人折衝を苦手とする技術職や事務職出身の人間には、かなり高いハードルになる。というよりも、はっきり言おう。無理だ。普通の現代人は選挙には耐えられない。逆に言えば、普通の人間に耐えられない野蛮な試練を経ねばならないことが、政治家の人材払底の主たる原因だということでもある」(同書、P.128-129)。

 冒頭の会話をした方とも、選挙に出るなんて考えられない、という話になりました。なんというのか、泥仕合もさることながら、候補者に注がれる冷徹な視線と言葉の無視に、普通の感覚では耐えられないと思います。京都でも、きっと選挙があるのでしょう(?)。確かに、偶然ながら、関心は高くなってきました。


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