2022.09.11
国葬を巡って
こんにちは、大阪発公会計ブログ担当の船戸明(公認会計士)です。
英国のエリザベス女王が8日、96歳で亡くなりました。在位70年ですから、当然、他の国王を知りません。英国民でもそういう方が多いはず。どれほどの影響があるのか。チャールズ新国王が即位しましたが、王室の存在がどのように変化していくのか。昭和の終わり、平成の終わりを見てきた身として、重ね合わせながら考えています。
エリザベス女王で印象に残っているのは、リーマンショックが起きた際の言葉でしょう。「「なぜ誰も信用の収縮を予測できなかったのか」――。リーマン・ショック直後の2008年11月、英国のエリザベス女王が尋ねた問いに、同国の経済学者たちは頭を抱えた」(2012年5月14日、日経)。
翌年の公開書簡での回答も、苦し紛れで、失笑を買ったようですが、それはともかく。エリザベス女王の国葬は、9月19日に行なわれます。
一方、こちらの国はどうなっているのでしょう。9月27日、安倍晋三元総理の国葬が予定されています。なぜ、国葬なのか。誰しもが考えるであろう疑問に、岸田総理は4つの理由を挙げているのだとか。以下、4日のTBSニュースから引用します。
1)総理大臣を憲政史上最長の8年8か月務めたこと
2)外交・経済など様々な分野で歴史に残る業績を残したこと
3)諸外国から敬意と弔意が示されていること
4)選挙活動中の非業の死であり、暴力には屈しない国としての毅然たる姿勢を示すこと
長ければいいのか。業績が一部にあったことは否定しませんが、負の側面の方が強かったのではないか。敬意と弔意が示される死はたくさんあるだろう。毅然たる姿勢がなぜ国葬に結びつくのか。
事件翌日、別のブログでこう書きました。「憲政史上最長の政権と言いますが、2012年以降の10年間で致命的に傷ついたのは、「嘘はつかない」「人の話を聞く」「相手の存在に敬意を払う」という民主主義、というか人間としての最低の倫理観ではないでしょうか。「被害者面」という批判も、本当に被害者になってしまうと躊躇してしまう、その鈍りを恐れます」。
その思いは今も変わらず、もちろん、国葬などをして祀り上げてしまうことには反対です。ただでさえうやむやになっている問題が、ますますうやむやになってしまう。ただ、意外だったのは、国葬に反対する世論の声が大きいこと。ここは為政者も読み間違いで、リーマンショックの言い訳を並べた経済学者同様、苦しい説明を強いられているところなのでしょう。
作家の中村文則さんは、ある対談で語っています。「今の政治体制では、公か個人か、国か地域かというとき、公や国を重視する度合いが強すぎる。そういう政権を擁護する場合、それは人権軽視、個人攻撃に転化しやすくなる。……国を愛する人は、国が間違っていたら「間違っている」と言うべきです。僕が国を批判すると「売日」とか「反日」とか言われますけど、僕は日本を好きですからね」(『自由対談』河出書房新社、P.278)。
今回の国葬に、間違っているという声はあがった。あとは、聞く力を標榜する人たちが、「分かりました、間違っていました、では、やめます」と言えるかどうか。いや、言えるはずはないのですが、その言えるはずがないという「空気」が、日本のあらゆる面での停滞の大きな要因の1つだと、私は思います。