2022.09.03

電車の中で

こんにちは、大阪発公会計ブログ担当の船戸明(公認会計士)です。

 私鉄のことを、なぜ、公共交通機関と呼ぶのか。公私混同、論理矛盾ではないのか。というのは、言いがかりだとして、つい、「公」と「私」という文字に考え込んでしまいます。もちろん、公共は社会一般ということでしょうから、鉄道が公共であることに間違いはありません。

 先日、とある私鉄電車で、車両の隅に座っていました。隣に女性が座り、その隣は空いています。そこへ、ベビーカーを引いたお母さんと、そのお母さん(赤ちゃんからすれば祖母)が乗ってきました。

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 壁|私|●|○|●|●

の状態です。

 まず、祖母が○に座りましたが、私が立って席を譲るにも中途半端です。ベビーカーがあるから隅がいいはず。でも、席を譲ったところで、隣の乗客もいるので、お母さんと祖母とは席が1つ飛んでしまう。身動き取れず、でも、読んでいた本も頭に入らず。悶々とした時間を2駅ほど過ごしました。

 その後の駅で、隣の女性が降車。かつ、向かいの席も空いた。

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 壁|私|○|○|●|●


 壁|○|●|●|●|●
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 すべて、丸く収まりました。私が向かいの○に移動し、お母さんが私が座っていた隅に座り、祖母は1つ横にずれる。ありがとうございます、とお礼を言われましたが、私が立った訳ではありませんので、恐縮してしまいます。むしろ、その後しばらく、正面にベビーカーに乗った赤ちゃんを見ることになり、その挙動や「ウー」「ワー」「バブー」(とは言っていない)という声にすっかり癒され、こちらがお礼を言いたい気持ちになりました。ベビーカーからしっかり窓の外を見ていましたが、どんな景色が見えるのだろう。読んでいた本は相変わらず頭に入りませんでしたが、事ここに至っては些細なことでしょう。

 やはり鉄道は公共です。ある社会の縮図を垣間見ることができる。では、私企業が担うべきなのかと言われれば、私は疑問です。JR各社が赤字路線を公表し、廃線も含めた検討を始めているのだとか。時代は逆戻りしません(ロシアを除く)が、私たちは鉄道に何を求めているのか、実は鉄道から何を得ているのか。少し立ち止まって考えてみてもいいのではないでしょうか。バスでは起きない、まして自動車ではあり得ない出会いの後に、少し立ち止まっています。


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