2022.08.07
地続きの戦争
こんにちは、大阪発公会計ブログ担当の船戸明(公認会計士)です。
8月は、広島、長崎、終戦(敗戦)と、戦争の話題が続きます。日本経済新聞で今月の「私の履歴書」を連載しているのが俳優の山崎努さん。今日までで6回ですが、そうか、8月にこのコーナーを担当するのは大変なのだ、とふと思います。
「戦争が激しくなって、われわれは母の郷里に疎開することになる。……玄関の上がりかまちにどっしりと坐ったおじいちゃんの姿を思い出す。父方の祖父で、大きな目、濃い眉、大柄ででっぷり太った西郷さんのような容姿。目元は柔らかだが、あまり表情を変えない人。おじいちゃんはときどき訪ねてくる。でも絶対に座敷には上がらない。軍にとられた息子の留守宅に上がり込むことを自ら禁としていたのかと今にして気付く」(4日、日経)。
こうした記録に残らない記憶を語れる人が8月の執筆を担当するのだろう。そう思って過去の履歴を調べてみたら、2019年8月はファッションデザイナーのコシノジュンコさん。楽しく読んだ記憶はありますが、戦争の話は出てこなかったような……山崎さんも、たまたまなのかもしれません。
新聞だけでなく、テレビでも戦争にまつわるドキュメンタリー番組が多く放送されています。毎年、いくつかを録画して見ますが、今年も、今日と明日で2つの番組を予約しました。正直なことを言えば、戦争ドキュメンタリーを見るのは辛い時間でもあるのですが、一方で、現代とも地続きだとも感じています。
2つの意味がありますが、1つは、今も実際に世界各地で戦争は続いていること。予約したうちの1つはウクライナの報道を巡るドキュメンタリーです。今日(7日)の日本経済新聞にも、「物語や実記が描く「戦争犯罪」」という記事が掲載されていました。「ロシアのウクライナ侵攻を機に、私たちは「戦争犯罪」という言葉に接するようになった」(7日、日経)。
もう1つは、特に日本において、戦争時の精神性がそのまま今の時代にも通じているのではないか、と感じること。戦史・紛争史研究家の山崎雅弘さんは、特攻という異様な作戦を分析しながら語っています。「目的を達成できるか否かという「可能性」が、その目的を達成するための「努力」にすり替わり、目的を達成する「努力の尊さ」が「その努力において自分を犠牲にすることの尊さ」にすり替わる。戦後の日本、現在の日本においても、同様のパターンは、あちこちで繰り返されているように見えます。一人一人の人間が持つ「人権」を尊重せず、組織や大義のための自己犠牲を美徳とする当時の風潮は、敗戦後もなお日本社会に根強く残っているからです」(『未完の敗戦』集英社新書、P.119)。
この本の帯文にある「この国は、なぜ人を粗末に扱うのか?」という問題意識は、ここ10年ほど、私が抱いてきた問題意識にピタリと重なります。戦争を考える機会の多い8月。人を大事にする社会に少しでも近づくよう、見聞を広げたいと考えています。