2022.07.10

共に、有る、地面

こんにちは、大阪発公会計ブログ担当の船戸明(公認会計士)です。

 ミシマ社という小さな出版社から、半年に1度、『ちゃぶ台』という「生活者のための総合雑誌」が発刊されます。先日発刊された2022年の春/夏号のテーマは「書店、再び共有地」。冒頭、文筆家の平川克美さんが書いた言葉が引用されていました。

「社会の片隅にでもいいから、社会的共有資本としての共有地、誰のものでもないが、誰もが立ち入り耕すことのできる共有地があると、わたしたちの生活はずいぶん風通しの良いものになるのではないか」(『共有地をつくる』より)。

 風通し、というのは、日常において常に重視しています。まず物理的に、部屋に風を通すこと。暑くても寒くても窓を開ける。部屋の入口は開けておく。風を通し、人を通すことで、内にこもりすぎず、自分自身の気持ちが解放されていく。そんな感覚があります。

 あとは、人の話を聞き、細かいことにこだわらず、イデオロギーのように凝り固まらないこと。●●すべき、という言い方、話し方は避けますし、●●しなければならない、と言いたくなったら一呼吸置く必要があるでしょう。

 さて、共に、有る、地面、である共有地。その1つである書店がいくつも紹介されていましたが、福島県南相馬市のブックカフェ「フルハウス」副店長の村上朝晴(ともはる)さんは語っています。「コロナ以降はカフェを休んで本屋のみ開けていますが、テーブルは開放しています。「ひと休み、待ち合わせ、雨宿りなどにどうぞ」と。町のなかでお金を払わずに座れる場所って大事だと思うんです」(『ちゃぶ台9』P.12)。

 次に『その農地、私が買います』の著者である高橋久美子さん。「私は畑を共有地にしたいと思っているんです。持ち主が私であったとしても、いろんな若い人たちが来て各々の心を癒やす場というか、農作業を一生懸命したい子はすればいいし、ぼんやりしたい子はすればいいし。もちろん働いて暮らしていくということも必要なんだけど、そういう共有の場所で、働く以外の時間を持てるといいなあってぼんやりと思っていて」(同、P.83)。

 もう1つ、人類学者が紹介したイタリアのバールの話も興味深いものでした。「イタリア人を見ていると、それぞれ行きつけのバールやカフェがあって、朝、仕事の前にコーヒー一杯立ち飲みし、夕方、仕事帰りに食前酒をまた一杯立ち飲みする人が多い。立ち飲みというところがミソで、座って長居するわけではなく、毎日顔を見せて五分か十分ほど店の人や常連客と言葉をかわす。……バールのような場所は、イタリアでは居間の延長か縁側のようなものである。それは「外」ではなく<縁(へり)>であって、地元の人の言い方では、「家に住んでいるというより、街に住んでいる」」(同、P.187、松嶋健さん)。

 平川さんの言う「誰もが」というのは、実は難しい。ペットカフェは、ペットを持たない人に縁がないように、書店は、本に興味がない人に縁がないかもしれない。農地は、農業に興味がない人に縁がないかもしれない。でも、実は、誰もがものを食べるのですから、農地に縁のない人はいないはず。そのことに気づいてもらい、本当に、「私が」そこにいていいのだと感じてもらうにはどうすればいいか。税理士が耕せる共有地とは何か、考え続けています。


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