2022.05.22

35年前の紀行文

こんにちは、大阪発公会計ブログ担当の船戸明(公認会計士)です。

 16日の日本経済新聞「春秋」欄は、こういう書き出しで始まりました。「鉄道紀行の名作「時刻表2万キロ」に、兵庫県の加古川線が登場する。著者の宮脇俊三は旧国鉄全線の「完乗」をめざして旅を続け、このローカル線には1975年の大みそかに初めて足を踏み入れた。「地味ではあるが、人口密度の濃い地域なので接続も概してよい」」(16日、日経)。

 最近、宮脇さんが読書の原点だという話をしたような気がしますが、春秋欄に登場するのは記憶にある限りは3回目のこと。それだけで、つい嬉しくなってしまいます。

 ただ、宮脇さんが乗っていた国鉄時代からJRとなり、この度、JR西日本は不採算路線を公表しました。その中に、加古川線の谷川-西脇市があり、地元では存続を危ぶむ声が強まっているのだと。

 では、宮脇さんが乗った当時、谷川-西脇市の部分はどのような扱いだったのか。手元にあるすっかり古びて茶色がかった文庫版の『時刻表2万キロ』(角川文庫、昭和59年11月25日初版)を引っ張り出してきました。

「粟生からの列車は、自分の一〇倍も幅のある中国自動車道の下を細々とくぐり、加古川に沿って北上し、野村から左へ分岐する鍛冶屋線に入ってゆく。加古川線の列車なのだから、まっすぐ終点の谷川に向かうべきだが、直進する列車は下り一本、上り二本しかなく、その他はすべて鍛冶屋線に乗り入れていて、野村-谷川間がむしろ支線のような運転系統になっている」(P.91-92)。

 この「野村」という駅が、現在の「西脇市」駅です。つまり、35年前の当時から、谷川-西脇市間は、支線のような扱いを受けていたのだと。ただ、「不採算区間だけを切り離して扱うな、国もきちんと支援を、と鉄道ネットワーク維持を求める訴えは切実だ」(16日、日経)という指摘ももっともでしょう。路線バス会社に道路をつくれとは言わない。航空会社に空港を作れとは言わない。なぜ鉄道会社だけが、駅も線路も、すべてを負う必要があるのか。

 宮脇さんの本を読み始めたのは中学生時代だと思います。以来、読み返したことはありませんが、久しぶりに読むと、こんなにユーモアに富んだ文章だったかと、面白くて仕方ない。いや、そのユーモアを中学生や高校生では理解できなかったということなのでしょう。

 国鉄「全線」完乗を達成されましたが、最初から目指していたわけではありません。「未乗区間はすべて赤字線であるから、せっかく乗ってもいつ廃線になるかわからないし、逆に少しでも延長されれば起点から乗りなおさなければならない。だから、全線完乗は手間のかかるばかりか、馬鹿らしいことでもある。ああおいうことを目指すのは目玉の据った狂信者や完璧主義者のやることで、とても私の体質には合わない、と思っていた」(前掲書、P.9)。

 といっても、もう若くはない。「小学校時代に東海道本線の駅名を暗唱し合った連中も、いまではグリーン車におさまって書類に目を通したり居眠りしたりする地位になっている。いい齢をして相変わらずの鉄道ごっこでは自慢にもならないから、私はなるべく黙っていた」(同)。

 いや、宮脇さんの筆のおかげもあって、鉄道趣味は「ごっこ」ではなくなりました。でも、いい齢をした人がグリーン車におさまれる時代でもなくなってきた。面白過ぎて最初から読み直したい誘惑が強烈ですが、5月末までは我慢して、いったん本を閉じることにします。ちなみに、加古川線に乗ったときの宮脇さんは、49歳でした。


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