2022.03.27

実感を乗せる

こんにちは、大阪発公会計ブログ担当の船戸明(公認会計士)です。

『政治学者、PTA会長になる』(毎日新聞出版、岡田憲治さん)を読みました。ご自身が3年間、実際に会長を務めた。今まで、おかしいと思いながら続いてきたことに、「おかしくないですか」「やめませんか」と声をあげてきた。そして、なんでもやめればいいわけではなく、慣習が続いてきたことには理由があり、慣習を続けてきた人たちは「いい人たち」だということを学んでいく。

 その体験談は迫力と説得力とユーモアに富んでいて、あっという間に読んでしまいました。

「…多少面倒臭くても、大人が一歩外に出れば、時には上位下達や定番をこなすだけではなく、自分の判断でいろいろ声を出すのは当たり前だ。日本の社会は、そういう時に自分で判断して声帯を振るわせることを自然にできる人間をたくさん育てていない。上が言ってるとか、みんなそういう感じだからとか、その場をやり過ごそうとして生きる人はたくさんいる」(同書、P.25)。

 コロナ禍で目の当たりにしていることでしょう。蔓延防止とか、緊急事態とか。問題はウィルスなのに、政府や自治体の言うことをあてにしてしまう。いや、自分だけの問題ではなく、「みんな」に感染させる危険性もありますから、慎重な判断は必要ですが。

 すべては子供のため、という校長先生の定型句について、岡田さんは語っています。「三年間のPTA会長の経験から断言できる。この定番を緊張感なく軽々しく口にする校長は、ほぼ、子供にもPTAにも地域にも大した関心がない。だからこんな大雑把な、生活実感からしても「本当に?(笑)」と尋ねたくなるような体重の乗らない言葉となるのだ」(同書、P.92)。

 岡田さんの本を読んだり、話を聞いたり。その積み重ねの中で一番強く感じるのが「生活実感」です。その延長で、PTAも「生活の延長」と位置づけた。「子供がお熱なら休む。子供はPTA室に連れておいで。パパは土曜登校日なら役員会に出られる。下の子とパパの世話のために、遠方の実家のおばあちゃんを呼ぶ必要なし。……保護者会の席でいくら「PTAは生活の延長ですよ!」って呼びかけたって、それを実感するためには、そんな演説を聞くだけでは無理だ」(同書、P.118)。

 岡田さんの本を読んだり、話を聞いたり。その中で強く意識させられるのは、イデオロギーではなく、実感から考えること。経営者と話をしていても、頭で語っていないか、体から発する実感で語っているか、常に意識するようにしています。

 もう1つ、深く考えさせられたのが、岡田さんの奥様の言葉でした。「この世の中のほとんどの人は、とくに、何も、別に、評価も、感謝も、褒められもしない、『何でもない』者だって思ってるんだよ。自分のことを。チチ君と違ってね。わかんないだろうね。自分はいつも評価されているはずだ、って考えている人には、そのへんのことが」(同書、P.200)。

 何者かになるためではなく、何者にもならないために勉強する。そう語った研究者の言葉を思い出しました。自分は何者でもない。その意識も、あらためて、深く刻んでおきたいと思います。


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