2022.02.13

一期一会のありがたみ

こんにちは、大阪発公会計ブログ担当の船戸明(公認会計士)です。

 歴史小説は読まないのですが、唯一、江戸時代を舞台にした小説で読んでいるのが高田郁さんの作品です。

 最初が、『みをつくし料理帖』シリーズ。とにかく登場人物の心情が細やかに描かれていることに驚きました。日常でも、日々、すぐに忘れていく感情の小さな起伏があるでしょう。そうそうと膝を打ったり、長い時間の中で積み重ねた阿吽の呼吸だったり。ランニングしていても気づきにくい小さなアップダウン。そんな感情の起伏が、見事に再現された作品です。

 半年に1回、全10作品で完結すると、次に始まったのが『あきない世傳 金と銀』シリーズ。大坂の呉服問屋から始まった商売が江戸に広がる。絹の呉服から木綿の太物へと商売を替えざるをえなくなり、今、また呉服を扱おうとしているというシリーズ12作目が、この2月に発売されました。こちらも、半年に1度の楽しみです。

 シリーズ前半、人の生き死にを目まぐるしく感じましたが、今思えば、後半の物語への布石だったのかもしれません。また、心情の細やかな表現は前作と変わらず。今回、特に感じるのが、大坂と江戸という物理的な距離を隔てた人の移動でしょうか。

 半月はかかる道のりを、歩くしかない時代。出発したことは手紙で知らされ、到着予定から1日、2日遅れると、気を揉みながら待つしかない。その分、到着したときの喜びはひとしおで、互いの近況を報告し合いながら、旅の疲れを解いていく。

 今回、70歳を超えた方が江戸を訪ねるシーンがありました。3日ほど休んで、再び帰って行く。その際、お互い、もう二度と会えないかもしれないと感じています。「これが今生の別れになる、との思いが、送る側にも送られる側にもある」(P.34)。

 かつては、夜は暗いのが当たり前でした。今、電気が普及し、24時間、いつでも明るい生活を送ることが可能です。その分、日中の明るさへのありがたみを感じにくくなっているのではないでしょうか。

 かつては、天気予報などなかった。ところが今、この瞬間、今日は午後から雨ということが分かっています。逆のケースですが、予報があることの影響を語った人がいました。「移動性低気圧の通過を予報していて、前日からの雨が昼には上がると言っていて、当たった時だ。雨が上がって嬉しいが、気象庁予報部の人たちに「当たってよかったね」と言ってあげたい気持ちになりはするが、晴れるのは分かっていたことなので、喜びが半減していないか。予報のない時代だったら、突然の青空に狂喜したのではなかろうか」(『命尽くるとも』文藝春秋、P.27、篠沢秀夫さん)。

 大阪と東京を3時間弱で移動できる時代。半月かけた時代と比べ、人と会えることのありがたみが薄くなっていないか。そんなことを思い起こさせてくれる高田さんの作品、今日、読み終わってしまう(だろう)のが楽しみでもあり、惜しくもあります。


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