2022.01.30
民の力
こんにちは、大阪発公会計ブログ担当の船戸明(公認会計士)です。
家庭では、父であり、夫であり、息子であり。仕事では、税理士であり、会計士であり、監事であり、取締役であり。趣味では、ランナーであり、ゴルファーであったり(過去形です)。
人それぞれ、いろんな立場を背負っているものですが、より大きなくくりとして用いられるのが「公人」と「私人」という表現でしょうか。首相や国会議員、公務員など公職にある人が公人だとすると、税金から給料をもらう人、と言ってもいいのかもしれません。
そんなことを考えているのは、「民間人」という言葉を考察した農業史、環境史を専門とする学者の話を読んだから。その「みんかんじん」には定食屋さんのおかみさんもいる。「ご飯を食べる「民(たみ)」に映画や音楽や集会などの貴重な情報を教えてくれ、「民」においしい料理を作ってくれ、「民」と会話をしてくれる。定食屋にはたくさんの本が置いてあって、誰もが借りることができる。民の「あいだ」にあるものが、「食べもの」と「言葉」であることを、おかみさんは教えてくれる」(『ちゃぶ台8』ミシマ社、P.82、藤原辰史さん)。
第3セクターという言葉があります。用いられ方は日本独特のようですが、知恵蔵には、次の解説がありました。「1980年代後半に、中曽根政権下の「民活法」「リゾート法」などを契機に官民双方のメリットを生かすとして全国的に急増したが、官民の役割分担が不明確であったため、もたれ合いによる放漫経営を招きがちで、バブル崩壊と共に経営難が表面化、大きな問題となっている」(『知恵蔵』より)。
先の学者も、民営化と私営化は異なるとしたうえで、本当の民営化を想像しています。「もしも日本列島中の鉄道が、キオスクの店員さん、電車の整備員さん、山奥の駅員さん、ワンマンカーの運転手さん、車内清掃をする清掃員さん、鉄道ファンなどの民間人の話し合いによって運営されるとしたらどうだろうか」(前掲書、P.85)。あるいは、大学の経営評議会に、近所の定食屋のおかみさんが入ったらどんな民間活力が生まれるか、と。
先の定義で言えば100%民間人だとしても、公の動きの影響を受けないわけにはいきません。特に、2年間続いている新型コロナウイルスで、そのことが明確に意識できるようになりました。学校が休校になれば、親の仕事にも影響します。ゴミ収集が来てくれなくなると、衛生環境は一気に悪化するでしょう。関係ない病気で急を要しても、病院で診てもらえないかもしれません。ワクチンが万能とは思いませんが、一定の効果が実証されている以上、そのもたつきは気になります。
そういう状況を、どう生き抜くか。そうならないために、自分にできることは何か。何も大きく考える必要はないのだと思います。自分の周りの家族や知人、友人のことを思う。関心を持つ。そう、日々の「食べもの」と「言葉」を大事にするのが、民の力なのですから。