2022.01.09

管理する側、される側

こんにちは、大阪発公会計ブログ担当の船戸明(公認会計士)です。

 何でも書いていい、と言われると書きにくいもの。このブログも、公「会計」ではなくなっていますが、かろうじて「公」という一語をたよりにして、文章を書いています。

 最近、気になったニュースの1つは、学校教育現場のデジタル化に関する話題でした。「政府は学習履歴など個人の教育データについて、2025年ごろまでにデジタル化して一元化する仕組みを構築することになりました。これは牧島デジタル大臣が、閣議のあとの記者会見で発表しました。それによりますと、2025年ごろまでに個人の学習履歴や授業の出欠状況など、教育データをデジタル化して一元化するとしています」(7日、NHK)。

 何でもかんでもデジタル化。それで迷走したのが、税制における電子取引のデータ保存です。この1月から開始予定でしたが、方針撤回、2年間の猶予期間が設けられました。上の政策(とすら呼べるのか)も、おそらく、教育分野でもデジタル化が必要だ、という掛け声のみが背景にあり、深く考察することなくアリバイ作りが進められているのだと想像します。

 何のためにデジタル化するのか。教育の本分である子どもたちの成熟に資するのか。教育を担う教師の方への負荷が重くなるのではないか。明石市長は、このニュースに反応しています。「明石市は、不登校の子どものためのフリースクールを新たにつくった。明石市は、子どもたちへの無料塾を更に拡充した。政治がすべきことは、管理の一元化ではない。見るべきは、データではなく、子ども一人ひとりの顔だと思う」(泉房穂市長のツイッターより)。

 管理する側には、一元管理したほうが、はみ出したことを見つけやすいという誘因があるのでしょう。実は、管理される側にも、管理されたほうが楽でいい、という思いがあるのではないでしょうか。前法政大総長が語っています。「権威に従いやすいのが日本人の弱点だ。江戸時代なら将軍、明治以降は天皇、戦後は米国を頂点とした構造が続き、『偉い人が考えてくれるだろう』という傾向がまだある。政治家に権威は必要なく、国民はその仕事ぶりをみて評価すればよい」(12月4日、日経、田中優子さん)。

 将軍ではなく、殿様だったような気がしますが、それはともかく。新型コロナウイルス下で、どう行動すればいいか。政府や自治体が決めた方針に従って行動する傾向は、ますます強まってしまったように感じます。

 オミクロン株が急速に拡大している。一方で、どうやら重症化はしにくいようだということも分かってきた。そこで、どう行動するのか。マスクや手洗いといった基本は当然として、自分の行動をどこまで制御するのか。人と会うという1つの場面をとってみても、「これが最後かもしれない」と意識することが増えました。行動は慎重に、でも過剰反応しすぎないように。そのバランスの中で判断するのは、上司でも政治家でもなく、自分です。江戸から、もう、5つ目の時代なのですから。


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