2021.12.26
自分たちで何とかする
こんにちは、大阪発公会計ブログ担当の船戸明(公認会計士)です。
数か月前のこと。電車で座っていて、ある駅に止まったとき、足が不自由な方が降りようとしていました。ところが、ゆっくりしか進めないので、このままだとドアが閉まってしまう。とっさに席を立ち、ドアから半身を出して車掌さんの方向に向かって手を上げ、半身を出し続けていました。車掌さんは気づいてくれたのでしょう。ドアはすぐには閉まらず、その方は無事降りることができました。
数週間前のこと。近所のモールで2階の100円ショップから1階のスーパーに向かうため、階段を下りていました。すると、すぐ横にあるエスカレーターで悲鳴が上がった。何ごとかと思って見たら、下りエスカレーターで、杖を持ったご老人がうつ伏せに倒れていました。そのまま動かない。悲鳴を上げたのは付き添っていたご家族でしょう。
これは大変と思い、急いで階段を下り、エスカレーターの降り口に向かいます。ただ、どうしていいか分からない。エスカレーターは動き続けていて、倒れているご老人もそのまま近づいてくる。確かに下まで来ないとどうしようもありませんが、しかし、どうしたらいいのか。
何人もの人が集まる中、あるおばちゃんが言いました。「とりあえず、エスカレーターを止めなあかん!」 そう言って降り口あたりを探し、緊急停止ボタンを押した結果、エスカレーターは止まりました。大丈夫?と声をかける。うつ伏せ状態のご老人を移動させようとするあたりで、うーっ、と声が出て無事が確認できました。
エスカレーターを緊急停止することも思いつかず、止まったら止まったで店員さんを探そうとしていた。手助けが必要な人は、目の前にいるはずなのに。緊急時に自分がいかに使い物にならないか、見せつけられました。
政府に頼らないという視点から、人類学者は言います。「ぼくらは問題が起きたら、すぐに行政や警察などにたよってしまう。知らないうちに問題の解決を他人まかせにばかりしている。不審者を見つけたら警察に電話するし、駅で倒れている人がいれば、自分では声をかけずに駅員を呼ぶ。そうやっていつも他人まかせにしていると、自分たちで秩序をつくったり、維持したりできっこない、と思ってしまう。でも、人間はずっとそうやって自分たちで問題に対処してきた」(『くらしのアナキズム』ミシマ社、P.151、松村圭一郎さん)。
朝、走っていますが、いつも考えていることがあります。今、この道で人が倒れていたらどうするだろう、と。走るとき、スマホは持っていません。でも、できることがあるはず。自分たちで何とかすることで、社会の秩序がつくられるのだと思います。その準備は平時からしておかなければならないと、あらためて痛感した「事件」でした。