2021.09.12

言葉を探す

こんにちは、大阪発公会計ブログ担当の船戸明(公認会計士)です。

 言うまでもなく、
 選挙だけが民主主義の手段ではありません。

 もちろん、選挙は大事。

 でも、それ以外のときも、
 周りの人と語り合ったり、
 おかしいものに声を上げたり、
 今ではSNSの意思表示に参加したり。

 自身を当事者と意識して、
 身を置き、考え、行動する必要があるのでしょう。

 為政者の側も、
 情報を開示したり、
 記者会見を行なったり、
 言葉を尽くして説明したり。

 そういう双方の積み重ねがあって、初めて、民主主義は成熟していく。

 ところが、どうも、日本の為政者には言葉がない。
 誠意を尽くして説明する言葉もなければ、意思もない。
 政治はお上がやるもの、民はお上に従うもの、になっている。

 緊急事態宣言の有無で行動を変える人を見て、いつも不思議に思う点です。

 なぜだろうと思ったのですが、
 そうか、これって江戸時代(あるいはそれ以前)からの伝統なのですね。

 原武史さんの『一日一考 日本の政治』(河出新書)を読みました。

 366人の言葉を、
 可能な限りのその日付と関連付ける形で紹介し、
 原さんが簡単な解説を付している。

 日本では、統治者は言葉を話さないどころか、姿も見せない。
 そんな事例を、いくつか紹介しましょう。

――――――――――
4月21日
ケンペル(1651-1716、オランダ商館付のドイツ人医師)

…数枚の畳が敷いてある高くなった所に将軍が、体の下に両足を組んで坐っていたが、その姿がよく見られないのは、十分な光がそこまで届かなかったし、また謁見があまりに速く行なわれ、われわれは頭を下げたまま伺候し、自分の顔をあげて将軍を見ることが許されぬまま、再び引下がらなければならないからである。

(原さん)…最高権力者は姿を見せないことによって「御威光」を演出する。その演出はオランダ使節や朝鮮通信使のような外国人に対しても適用されたのだ。


9月14日
小泉八雲(1850-1904、日本に帰化したギリシア生まれの作家、日本研究者)

…三番目の奥手にあるご神座からは金襴(きんらん)の帳(とばり)が引き上げられていて、その背後にこそ主神たる大国主神が祀られているのである。だが目に映るものといえば、ごく普通の神道の飾りものとご神座の外側だけで、その中のご神体は何人たりとも見ることを許されないのである。

(原さん)小泉八雲は出雲大社を参拝し、外国人として初めて本殿に上がることを許された。…しかし神体そのものは隠れていて見えない。建築様式が異なる伊勢神宮も、この点は共通している。日本では、より身分の高いもの、より貴いものは、いくら近づこうとしても見えないことによって威光や権威が高まるという、歴史を貫く一つの原理を言い当てているかのようだ。


10月26日
ジョン・リード(1887-1920、米国のジャーナリスト)

 恐らく有史以来もっとも敬愛された指導者の一人、群衆の人気者としては、ぱっとしない姿である。民衆の指導者としては奇妙な――純粋に知性の力だけで指導者になった人物だ。精彩を欠き、ユーモアを欠き、非妥協的で、孤立し、絵画的特徴をもたぬけれども――深い思想を単純な言葉で説明し、具体的な状況を分析する力をそなえている。

(原さん)ロシア十月革命でソビエト政権が樹立された翌日の1971年10月26日(ユリウス暦)、第2回全ロシア・ソビエト大会に出席したレーニンの姿を、ジョン・リードは初めて目のあたりにした。その姿は見すぼらしかったが、言葉の力は抜きんでていた。…公共の空間で天皇がほとんど肉声を発さず、外見的なイメージでカリスマ性を演出することに腐心した近代天皇制とはまさに対照的である。
――――――――――

 もちろん、
 ヒトラーの演説のように、言葉による危険もある。

 でも、そもそも、言葉がないのがウチの国。
 言葉がない分、責任も取らない。

 民主主義を成り立たせるために、
 言葉を探さなければなりませんし、
 言葉を求め続けなければならないのだろうと思います。


CONTACTお問い合わせ

PAGE TOP