2021.08.22
隣の国のことば
こんにちは、大阪発公会計ブログ担当の船戸明(公認会計士)です。
初めて行った外国は、韓国でした。
厳しい監査を乗り切ったチームで、
慰安も兼ねた1泊2日の小旅行。
空港に降り立ったときの印象は、
日本とあまり違わないな、でした。
その1か月後に、
これまた初めていった沖縄のほうが、よほど海外のようだった。
先日、家族と外国語の話をした際、
1人1つ、英語以外の言葉を担当しようという話に。
「私、中国語」。
「僕は、スペイン語」。
「大学で、フランス語」。
そんな中、ふいに私が選んだのが韓国語でした。
以来、不思議なのですが、
50歳からハングルを習い始めた詩人、
茨木のり子さん(1926-2006)に出会う機会が続きます。
日経新聞で、梯久美子さんの連載。
朝日新聞で、鷲田清一さんが選んだ茨木さんの言葉。
紀伊国屋書店で、偶然目が合った『隣の国のことばですもの』という本。
なぜ、ハングルを学んだのか。
その動機について、茨木さんは語っています。
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『隣の国のことばですもの』
金智英、筑摩書房、P.135-136
「動機は?」と問われると、私は困ってしまう。うまく説明できなくて。
動機は錯綜し、何種類もからまりあっていて、たった一つで簡潔に答えられないからである。その時々でまったく違った答えかたをしている自分を発見する。
問われても、うまくは答えられないから、全部をひっくるめて最近は、
「隣の国のことばですもの」
と言うことにしている。
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もちろん、ひっくるめる前にいろいろありました。
その1つ、韓国の女性詩人である洪允淑(ホンユンスク)さんとの交流について。
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P.146
先日、韓国の女性詩人、フォンさんという方に会った。私とほぼ同年輩の方だったが、日本語がお上手だった。どうしてこんなにお上手なのだろう? 質問をしたあとでぎょっとなった。女学校を卒業する頃まで日本語で教育を受けてきたという答に。
そのことはよく知っていたつもりであった。日本が朝鮮を植民地化していた時代に朝鮮民族から朝鮮語を奪い、日本語を押しつけて氏名まで日本流に改姓させてしまったこと、数々の罪あれど、言葉を奪うということはもっとも慚愧すべき罪だということも。
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いや、しかし、
言葉を学ぶというのは、並大抵のことではありません。
韓国語、と言ってはみたものの、
まだ、着手できないでいます。
でも、まず、その思いだけは大事にしておこうかと。
少し離れますが、茨木さんの詩の中から、
いくつかの言葉を引いておきたいと思います。
そうか、こういう詩もあるのか。
今まで詩を読んだことのない私には新鮮でした。
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・倚(よ)りかからず
もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
・・・
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
・・・
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ
・内部からくさる桃
ひとびとは
怒りの火薬をしめらせてはならない
まことに自己の名において立つ日のために
・自分の感受性くらい
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
・小さな渦巻
ひとりの人間の真摯な仕事は
おもいもかけない遠いところで
小さな小さな渦巻をつくる
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