2021.07.25

現金給付という制度

こんにちは、大阪発公会計ブログ担当の船戸明(公認会計士)です。

『「現金給付」の経済学』
(井上智洋さん、NHK出版新書)を読みました。

『人工知能と経済の未来』
『AI時代の新・ベーシックインカム論』
 などの著書がある井上さん。

 コロナ禍の今でこそ話題に上るようになったベーシックインカム(BI)を、
 何年か前から全面的に主張されています。

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P.66

 例えば、月に7万円といったお金が、政府から国民全員に無条件で給付されるのである。ただし、7万円程度であれば一人暮らしの場合、それだけでは生活が難しいので、生活補助金というニュアンスが強い。
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 全員に配るのか?
 生活保護があるではないか?

 そんな疑問を抱きがちですが。

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P.88-89

 与野党や右派左派を問わず、困っている人だけをピンポイントで狙い撃ちして支援することの難しさが理解されていないのではないだろうか。
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 前述したように生活保護も選別的であり、健康で働けると見なされた場合や、親や兄弟の支援が受けられると見込まれた場合には、受給できないことが多い。それどころか、病気を患っている場合や親や兄弟と不仲で支援が受けられない場合ですら受給できないことがある。
 そのため、生活保護基準以下の収入しかないのに給付を受けられていない世帯はかなり多く、「捕捉率」は2割と言われている。つまり、生活保護を受給する権利があるはずの残り8割の人たちは、実際には受給できずにいるのである。
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 金持ちにも給付するのか?
 財源はどうするのか?

 という疑問には。

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P.93

 ただし、このままではすべての人々の所得が底上げされてしまうため、生活に困窮していないお金持ちにまで給付することになる。それでも構わないという主張もあり得るが、別途税金を課すことで、これに再分配機能を持たせることもできる。

P.98

 問題の本質は「高所得者が増税による純負担を容認するか否か」にある。高所得者が自らの純負担を容認すれば政治的に実現しやすいし、容認しなければ実現し難い。財源問題という見せかけの問題の奥にある真の問題は、高所得者の純負担が容認されるか否かなのである。
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 自己責任という言葉が叫ばれだしたのはいつからでしょう。
 首相が、「自助」を政治理念として真っ先に掲げてしまう。
 自助や自己責任は、自分で意識する分には重要ですが、
 政治理念として掲げるなら、政治そのものが不要でしょう。

 井上さんの論考は何度か読んだことがありますが、
 その根底にある考え方に初めて触れたような気がします。

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P.101

 仮に月7万円程度がBIによって給付されれば、一人暮らしの人がそこにちょっとしたバイト代を加えれば何とか生活できるだろう。だが、明確な病気や障害がなくてもバイトができないという人がいてもおかしくはない。
 それを甘えとして切り捨てるべきだと考える人もいるだろう。当たり前だが、すべての人は(清貧の思想の持ち主とかでなければ)好き好んで貧困になるわけではない。それぞれが如何ともし難い事情から貧困に陥るのである。
 人は、他人のその事情が明確に理解できない時、「甘え」というレッテルを貼って切り捨てようとする。理解しやすい事情か否かで、支援すべきかどうかを判断するのは不合理だろう。だから、いかなる理由があろうとも貧困に陥った人は無条件で支援すべきなのである。
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 他にも、
 MMT(現代貨幣理論)に対する見解や、
 グリーン・マルクス主義に対する見解など、
 最近の経済理論にも批評的な見方が示されています。

 中国に対する見方も、
 同感と感じる部分が多々ありました。

 最後に、その一節だけ紹介しておきたいと思います。

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P.227

 中国人はおごっているのだろうか。(もちろん人によるが)そうではなく、彼らは世界の国々の科学技術をいまだに貪欲に吸収しようとしている。逆に、中国から科学技術を学ぼうという日本人はまだ少数派だ。それだけ私たちは、歪んだプライドを持ち続けて「日本スゴイ論」を捨て切れていないのである。
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 貧すれば鈍する、を地で行く日本。
 いい加減、目を覚まさなければなりません。


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