2021.02.28
明るく書く
こんにちは、大阪発公会計ブログ担当の船戸明(公認会計士)です。
ブログ。
メールマガジン。
それぞれ、2つずつ。
日々、気が向いたらツイッター。
いろんな文章を書く以上、
いろんなことを意識するのですが、
共通して課しているルールがいくつかあります。
面と向かって言えないことは、書かない。
常に自分の名前で、つまり匿名では語らない。
自分の経験に照らし、経験のないことは謙虚に想像する。
批判も批評もするが、仲間を増やす語り口とは何かを考える。
最後の話をひと言で言えば、
「明るく書きたい」ということなのだと思います。
『災害特派員』(三浦英之さん、朝日新聞出版)を読みました。
朝日新聞記者の三浦さんが、
東日本大震災を取材し、見たこと、考えたこと、感じたことを、
具体的に、正直に綴った手記です。
その中で、
同じ南三陸町を取材していた河北新報カメラマン、
渡辺龍さんの話が出てきます。
「未来のことなんて誰にもわからない。あの日もそうだった。明日どうなるのかなんて、俺たちは全然わからなかったんだよ。俺もそうだったし、きっとみんなそうだった。だから……俺は『明るい写真』を撮りたいんだよ」(P.277)。
そう語った渡辺さん。
明るい写真とは?
少し長くなりますが、
文章を書いている身にも深く共感できた内容ですので、
さらに語った渡辺さんの言葉を紹介しておきたいと思います。
「新聞の紙面を飾る感動する実話や心温まるエピソード、思わず涙が出てきそうな写真の数々。でも、現場に足を運んでみると、実際の現実はそうじゃない。どんなに素晴らしい人間だって他人に見せたくないようなねたみやひがみの感情を抱いているし、くだらないいざこざの中周囲を照らす光のような瞬間がある。笑って、怒って、怠けて、泣いて。それを一部分だけ切り抜いて伝えたところで、それはやっぱり『嘘』じゃないかと思う瞬間があって。で、どうせ『嘘』なら、俺は笑っている瞬間を撮りたい。被写体が幸せそうに写っている写真がいい。撮られた人があとで振り返って見返したときに、『ああ、良い瞬間だったな』と『よし、頑張って生きよう』と思えるような、そんな写真さ」(P.279)。
文章だって、
部分を切り取っている、という意味では、嘘なのです。
でも、嘘をたくさん重ねていけば、
そこから立ち上がるものが、きっとある。
つまり、
陳腐な結論ですが、
継続することに意味がある、ということになるのでしょう。
量より質?
いや、質より量でしょう。
量のない質は、よほどの天才でもない限り、あり得ないのだと思います。