2020.11.01
マルクスの名前
こんにちは、大阪発公会計ブログ担当の船戸明(公認会計士)です。
「マルクス先生、19世紀に資本主義を分析し、こう喝破した。「貨幣は、うまれながらにして金・銀である」」(31日、日経『春秋』)。
最近、マルクスの名前をよく聞くようになりました。
白井聡さんの『武器としての「資本論」』(東洋経済新報社)。
斎藤幸平さんの『人新世の「資本論」』(集英社新書)。
よく読まれているようですし、私も読みました。
斎藤さんの著書から、
現代の危機と言われる気候問題と資本主義とマルクスの関係を引用しておきます。
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『人新世の「資本論」』(集英社新書)
P.42
資本主義の歴史を振り返れば、国家や大企業が十分な規模の気候変動対策を打ち出す見込みは薄い。解決策の代わりに資本主義が提供してきたのは、収奪と負荷の外部化・転嫁ばかりなのだ。矛盾をどこか遠いところへと転嫁し、問題解決の先送りを繰り返してきたのである。
実は、この転嫁による外部性の創出とその問題点を、早くも一九世紀半ばに分析していたのが、あのカール・マルクスであった。
マルクスはこう強調していた。資本主義は自らの矛盾を別のところへ転嫁し、不可視化する。だが、その転嫁によって、さらに矛盾が深まっていく泥沼化の惨状が必然的に起きるであろうと。
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『共産党宣言』(1848年)
『資本論』第一巻(1867年)
その後、晩年のマルクスは、
さらに思考を止めなかった。
理論的な大転換をとげた。
その思考に学ぶことがある。
というのが斎藤さんの見立てで、
しかも、文章が、なぜかすっと入ってくる。
そんな不思議な著書でした。
マルクスは古いとか終わったとか、
そんな短見を解いてくれたのは内田樹先生です。
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『若者よ、マルクスを読もう』(かもがわ出版)
P.37
マルクスを読んでも、問題は解決しません。
でも、自分がどれくらいものを考えるときに不自由であったか、どれくらい因習的な思考の枠組みに囚われていたのか、それは身にしみてわかります。マルクスを読んでいると、自分の思考の枠組み(「檻」と言ってもいいかもしれません)を外側からがんがん揺さぶられて、檻の壁に亀裂が走り、鉄格子が緩んでくるような感じがする。……マルクスはぼくを檻から出してくれるわけではありません。そうではなくて、ぼくが檻の中に幽閉されているということを教えてくれる。自分が幽閉されていることに気づかない限り、そこから出る手立てを工夫するという作業は始まりません。
マルクスはぼくの問題を解決してくれない。けれども、マルクスを読むとぼくは自分の問題を自分の手で解決しなければならないということがわかる。
これがマルクスの「教育的」なところだとぼくは思っています。
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斎藤さんの本に、
白井さんが言葉を寄せています。
「「マルクスへ帰れ」と人は言う。だがマルクスからどこへ行く? 斎藤幸平は、その答えに誰よりも早くたどり着いた」
どうやら、歴史の転換点に立っていることは間違いなさそうです。
そして、考えるヒントは、いろんな形で世の中に提供されている。
アンテナを張り、自分の言葉を見つける。
その旅は、どこまでも続いていくのでしょう。