2020.09.06
大勢に乗らない
こんにちは、大阪発公会計ブログ担当の船戸明(公認会計士)です。
『同調圧力 日本社会はなぜ息苦しいのか』
(鴻上尚史/佐藤直樹、講談社現代新書)を読みました。
自粛要請という名の事実上の命令。
感染者に謝罪を強いてしまう世間。
責任を1度も取らずに辞める首相。
日本には「世間」があり、「個人」がない。
世間の呪縛から抜け出し、「社会」と関係を持つ。
お2人のテンポよい会話に、
何度も、なるほど、と納得する場面がありました。
特に、欧米との比較において、
キリスト教などの一神教と比較した分析は興味深い。
「キリスト教などでは、言葉というのは基本的に神様との関係から生まれる。自分が言ったことに対して責任をとるか、とらないかというのは、神様に対して罪になるか、ならないかという問題で判断するわけです。ところが日本の場合、どことの関係で判断するかというと「世間」の空気です。空気が変われば、自分が変わってもいいわけですよ。自分が変えたわけじゃないから、自分は責任をとらなくてもいいと思っているわけです」(佐藤さん、P.103)。
子どもの頃からの環境や教育も根深い問題。
じゃんけんの話には、笑いつつも、笑えない。。。
「僕は、半分ジョークも入ってますけど、じゃんけんが日本人を議論下手にしたと言っているんです。イギリスに行ったときに、幼稚園児がこのブランコにいかに自分は乗りたいか、乗るに値するかということを、お互いに口角泡を飛ばして議論している姿を見ました(笑)。日本人はすぐにじゃんけんして順番を決めるじゃないですか。簡単に誰も傷つくことなく解決しちゃう」(鴻上さん、P.89)。
必要な前提は、議論と人格は違うということですが、
日本にはそれがなく、日本人は批判に慣れていない。
「学者同士の学術的な議論などでも同じような問題が出てきますね。誰かの意見を否定したり批判したりするということは、その人間の人格の全否定みたいに取られてしまうことがある。だから軽々しく批判できない」(佐藤さん、P.101)。
同調圧力は、
ここのところ明らかに高まっている。
そのことが露骨に現れたのが、今回のコロナ禍。
スタートは、
多くの人が挙げるように、
構造改革やら自己責任やらが語られるようになり、
自殺者が3万人を超えた1998年頃だと。
やっぱり、
不条理に怒る、
空気は読まない、
おかしいものはおかしいと言う、
という姿勢が必要でしょう。
でも、それができる環境にいない人が増えてしまった。
微力ながら、
その姿勢を維持していきたいと思っています。