2020.03.15

地形の思想史

こんにちは、大阪発公会計ブログ担当の船戸明(公認会計士)です。

 原武史さんの『地形の思想史』(角川書店)を読みました。

 原さんの本は、一度読みたいと思っていた。
 そうしたら、いつかの新聞でこの本の書評が出ていた。
 書評を読んだわけではなく、新聞に出ていた表紙を見ての「ジャケ買い」です。

 カバーに付された紹介文。

「人間の思想は、都市部の人工的な空間だけで生み出されるわけではない。地形が思想を生み出したり、地形によって思想が規定されたりすることもあるのだ」。

 たとえば、「「峠」と革命」という章は、
 こんな書き出しで始まります。

「東京都あきる野市(旧西多摩郡五日市町)の武蔵五日市駅はJR五日市線の終点、東京都西多摩郡奥多摩町の奥多摩駅はJR青梅線の終点である」(P.50)。

 では、なぜ五日市という町で、
 明治初期、「五日市憲法」と呼ばれる私擬憲法が起草されたのか。

 原さんは言います。

「五日市は峠で隔てられているとはいえ青梅や小河内より八王子に近く、八王子は「絹の道」と呼ばれた浜街道を通して横浜とつながっていた。これが五日市にとって、幕末の開国以降、西洋の思想を吸収する上で有利な条件となった」(P.52)。

 その地理的条件が、「五日市憲法」を生んだ背景でもあるのだと。

 2012年1月23日、
 現上皇と現上皇后は、天皇及び皇后として五日市憲法の草案を見学したそうです。
 その後、上皇后陛下が語ったこと。

「明治憲法の公布(明治22年)に先立ち、地域の小学校の教員、地主や農民が、寄り合い、討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で、基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務、法の下の平等、更に言論の自由、信教の自由など、204条が書かれており、地方自治権等についても記されています」(P.59)

 そして、次のように言葉を紡がれました。

「…近代日本の黎明期に生きた人々の、政治参加への強い意欲や、自国の未来にかけた熱い願いに触れ、深い感銘を覚えたことでした」(同)


 母方のいなかである駒ケ根市を訪れるたび、
「ここで暮らしていれば」と想像してみます。

 幼少期を過ごした「熊本」という地名を聞くたびに、
「小学校高学年以降もここで生活していれば」と想像してみます。

 宇治に暮らすようになって17年ほど。
 この地形に、どのような影響を受けてきたのでしょうか。

 答えは急ぎません。
 ゆっくりと考えていきたいと思います。


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