2019.02.24
受益者負担という言い訳
こんにちは、大阪発公会計ブログ担当の船戸明(公認会計士)です。
有料配信なので全文読めていませんが、
2016年9月28日の朝日新聞に、
本庶佑さんのインタビュー記事が掲載されているようです。
で、ツイッターで引用された方によれば、
こんなことをおっしゃっていると。
「大学院の授業料は無料にすべきです。財務省は受益者負担の原則をいい、教育を受けた者が受益者だといいます。とんでもない。受益者は国であり、国民です。知の人材を育てることこそが、国にとって一番重要」
文脈は不明として、
この文章の内容には私もまったく同感です。
自分で努力して得たものは、
自分のために使う。
それが当たり前と思われがちですが、
私は違うと思います。
自分が持っているもの(計算力でも、英語力でも、腕力でも、なんでも)は、
それを持っていない人のために使う。
これが、大人のありようなのではないかと思うのです。
先ほど、ある地下街を歩いていたとき、
緩やかなスロープを下る場所がありました。
すると反対側から、
車いすの方が、逆にスロープを上ってきます。
手でこいで動かす車いすのようで、
しかも乗っていたのが、さほど力があるとは思えない若い女性の方。
緩やかなスロープなのですが、その方はつらそうです。
あ、押さないと、と思ったのですが、
何せ女性の方でしたので、一瞬、躊躇しました。
こんなおじさんが寄っていっていいものか?と。
と、その瞬間、
私の前を歩いていた(=スロープを下っていた)女性が、
すーっと方向を変えて車いすに近づいていきました。
よかった。
見届けていませんが、
きっと、車いすの女性がスロープを上がるのを手伝ってくれたのでしょう。
社会は、生活は、こんな小さなことの積み重ね。
自分が持っているものは、
自分の努力もあるかもしれませんが、
何かが回りまわって得たものなので、
人にパスしなければなりません。
教育なんて、その際たるものでしょう。
受益者はあなたなんだから、
あなたが自分で支払うべきだ。
こんなのは、稼げなくなった国の言い訳でしかないと、私は思います。