2018.05.27
見えないものを見る
こんにちは、大阪発公会計ブログ担当の船戸明(公認会計士)です。
先日、とある役場に行くと、健康診断が大々的に行なわれていました。
健康寿命を延ばす。
医療費抑制という文脈で語られがちですが、100歳まで生き「なければならない」のであれば、何より本人の幸せのためにも健康でいられることは必須の条件でしょう。
第71回カンヌ国際映画祭で最高賞「パルムドール」を受賞した是枝裕和監督。日本経済新聞に、簡単な紹介が掲載されていました。その中で、是枝監督はこんなことをおっしゃっています。
「感情の核に喜怒哀楽で言うと「怒」があったのかもしれない。責めやすい弱者ばかりに批判の矛先が向いていないか」。
連想したのは、村上春樹さんの「壁と卵」の話です。エルサレム賞授賞式で、村上さんはこう語りました(2009年)。
「もしここに硬い大きな壁があり、そこにぶつかって割れる卵があったとしたら、私は常に卵の側に立ちます。そう、どれほど壁が正しく、卵が間違っていたとしても、それでもなお私は卵の側に立ちます」。
行政に関わるとき、常に意識するのは弱者の視点です。資本主義という競争社会の中で、その道から外れてしまうことは誰にでも起こりうること。
明日、病気になるかもしれない。
明日、介護が必要な身になるかもしれない。
遠くない未来に、人は必ず年老いていく。
健康にしても、年金にしても、生活保護にしても、どれもこれも明日は我が身。その想像力を失ってはならないのだと私は思います。
見えない感情。
見えない経験。
見えない歴史。
見えない文脈。
見えない未来。
スマホやパソコンばかりに振り回されている場合ではありません。見えないものを見る時間を意識しておかないと、想像力は削られるばかりなのではないでしょうか。