2017.12.10

中学校の記憶

こんにちは、大阪発公会計ブログ担当の船戸明(公認会計士)です。

 今日、電車で駅1つのところにある府立高校を訪ねる機会がありました。

 これまでに数回足を運んだことがあるのですが、その度に、野球部員の礼儀正しさに驚かされます。各部員、誰とすれ違っても「こんにちは」と挨拶してくれるのですが、ただ言葉を発するだけではありません。走っていても立ち止まり、目を見て一礼しながら「こんにちは」と言ってくれるのです。

 きちんと「私はあなたに挨拶します」という姿勢を整えたうえでの挨拶ですから、こちらも身が引き締まります。20人以上の高校生と挨拶するのは、それはそれで大変ではありますが。。。
 
 
 で、ちょっとボーッとする時間があったのですが、ふと、自分の高校時代を思い出していました。

 卓球部に属していて、友だちは誰それで、先生は誰で、・・・

 比較的、いろんなことが思い出されます。一方、これまでも感じていたことなのですが、中学校時代の記憶がほとんどないことに、あらためて不思議な感覚を持ちました。

 卓球部だったこと。
 階段上り下りやうさぎ跳びをしたこと。
 学校でタバコを吸ってる生徒がいたこと。

 それくらいは記憶にあるのですが、先生が誰で、どんな友だちがいて、高校受験をどのように乗り切って、入学式や卒業式がどんなで、といった記憶がまるでありません。校歌も、小学校と高校は覚えているのに、中学校は覚えていない。

 小学校から中学校の間に引っ越したこと。
 卒業後も連絡が続いている友人が1人もいないこと。

 そんなことも影響しているのかもしれません。とにかく、ほぼまったくといっていいくらい記憶がないので、家族には「中学校に行ってなかったんじゃないか」とまで言われています。
 
 
 今日、その高校に行く前に、とある対談番組(音声)をダウンロードして聞いていました。出演していた思想家で武道家の内田樹先生がおっしゃったのは、「家風は子どもに多大な影響を与える」ということ。無意識であろうが、その環境の中で長くいることで、自然になじんでしまうものだと。

 その点、私自身に中学校時代の記憶がないことは、間違いなくプラスに働いていると思います。記憶がないということは、大したことをしていない。その前提で子どもたちを見ると、多少のことはあっても「自分の中学校時代(ひいては子ども時代)より、よほど頑張っている」と確信します。

 なので、ほとんど怒らない。イライラもしない。たまに不機嫌なときはありますが、その頻度は極端に低いと思います。その支えになっている内田先生の言葉を、最後にご紹介しておきます。

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 瀕死の床にある人間に向かって、あれこれ説教して「生き方を変えろ」などと言う人間はいない。
 親子だって同じである。
 いつまでもいっしょにいられると思うから、それぞれの人間的欠点も目につくし、それを「補正せよ」というぶしつけな要求もつい口を出るのである。
 いっしょに過ごす時間がわずかしかないと思えば、だいたいの欠点は笑って受け容れることができる。過ぎて行く時間がかけがえのないものであることも身にしみて分かる。
 家族は仲良く暮らすべきだと私は思っている。
 そして、逆説的なことだが、「家族が仲良く暮らす」秘訣は、家族とはテンポラリーなものであり、その構成員はいずれ離散するのだ、ということを家族のみんながいつも意識していることだと思うのである。
 そのためには、家族の持続時間には「期限」を設けてある方がよい。「子離れ、親離れ」はそのための叡智である。

(『期間限定の思想 「おじさん」的思考2』角川文庫、P.215)
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