2018.03.11

7年間の歩み

こんにちは、大阪発公会計ブログ担当の船戸明(公認会計士)です。

 今日は3月11日。

 たまたま日曜日だからでしょうか。
 あるいは、日本の国内状況がむちゃくちゃだからでしょうか。

 国税庁長官辞任と米朝首脳会談が並んだ昨日の朝刊を見て、この国の指導層の言動がいかにでたらめかと感じ、はらわたが煮えくり返っています。

 そんな状況で迎えた3月11日の朝。東日本大震災から7年目を迎えました。この7年間、自分に何ができたのか。考えはどう変わったのか。そんなことを考えています。

 今週も個人ブログにあげた文章を、そのままこちらにもアップしておきます。
 
 
 7年前、2011年の2月末は大変だったことを覚えています。

 例年、12月決算法人の確定申告と、個人所得税の確定申告が重なる時期。そこに新たに発行する20ページくらいの事務所便りが重なり、かつ、これも毎年恒例の宇治川マラソンを走る。

 よくやりきったなあと思うのですが、事務所便りの小冊子が出来た喜びが大きかったようにも感じます。

 そして少しホッとしていた3月11日。事務所でパソコン画面を覗いているときに、その揺れはやってきました。

 その後、事務所便りの取材などで何度か東北へ。私の2月の大変さなど吹き飛ぶような話を何度も何度も聞かせていただきました。
 
 
 以来7年。なぜか今年は、昨年や一昨年よりも強く、3月11日を意識しているような気がします。しばらく東北も訪ねていません。また行きたいと思いつつ、この7年で、自分は何ができたのだろうとも考えています。

 たまたま今読んでいる中島岳志さんの『保守と立憲』(スタンドブックス)。大きなテーマの1つが「死者」です。

「では、国民や政府は、憲法を通じて誰から制約を受けているのでしょうか?
 それは死者たちからです」(P.20)。

 そう語る中島さんは、1908年に発刊されたチェスタトンの『正統とは何か』の文章も引いています。

「単にたまたま生きて動いているというだけで、今の人間が投票権を独占するなどということは、生者の傲慢な寡頭政治以外の何物でもない。・・・われわれは死者を会議に招かねばならない。古代のギリシャ人は石で投票したというが、死者には墓石で投票してもらわなければならない」(P.47)。
 
 
 今年はたまたま日曜日。

 いつもと変わらない、穏やかな日曜日がある。
 いつもと同じように、ご先祖様に手を合わせる。

 そのことの喜びをゆっくり感じる1日にしたいと、私は思います。



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