2017.11.19
思考の枠組み
こんにちは、大阪発公会計ブログ担当の船戸明(公認会計士)です。
三権分立。
中学校の教科書で勉強したはずです。立法(国会)、行政(内閣)、司法(裁判所)ですが、日本ほど三権分立が機能していない先進国(と呼んでいいのか?)もないと感じる機会が増えてきました。
たとえば国会について。思想家で武道家の内田樹先生は、こんなことをおっしゃっています(2017/11/14、毎日新聞)。
「事実、「立法府は機能していない」という印象操作に安倍内閣ほど熱心に取り組み、かつ成功した政権は過去にない。質問に答えず、はぐらかし、詭弁(きべん)を弄し、ヤジを飛ばし、法案内容を理解していないので野党議員の質問に答えることのできない大臣を答弁に立たせ、審議時間が足りたと思うと殴り合いと怒号の中で強行採決をした。臨時国会の召集要請に応えず、野党の質問を受けるのが嫌さに国会を解散し、選挙後の特別国会では所信表明も代表質問もなしにいきなり閉会しようとした。これらの一連の行動は与党の驕(おご)りや気の緩みによってなされたわけではない。そうではなくて、「国会は実質的にはほとんど機能していないので、あってもなくてもどうでもよい無用の機関だ(現に国会閉会中も行政機関は平常通り機能していたし、国民生活にも支障は出なかったではないか)」という印象を国民の間に浸透させるために計画的に行われているのである」。
話が内田先生にそれますが、私が初めてその文献に触れたのは9年ほど前(『昭和のエートス』)。
以来、著書のほぼすべてを読みましたが、常々感じるのは、「物事、そう考えるのか」という発想の次元の繰り上げです。たとえばマルクスについて、内田先生はこうおっしゃいました(『若者よ、マルクスを読もう』かもがわ出版、P.37)。
「マルクスを読んでも、問題は解決しません。
でも、自分がどれくらいものを考えるときに不自由であったか、どれくらい因習的な思考の枠組みに囚われていたのか、それは身にしみてわかります。マルクスを読んでいると、自分の思考の枠組み(「檻」と言ってもいいかもしれません)を外側からがんがん揺さぶられて、檻の壁に亀裂が走り、鉄格子が緩んでくるような感じがする。…マルクスはぼくを檻から出してくれるわけではありません。そうではなくて、ぼくが檻の中に幽閉されているということを教えてくれる。自分が幽閉されていることに気づかない限り、そこから出る手立てを工夫するという作業は始まりません。
マルクスはぼくの問題を解決してくれない。けれども、マルクスを読むとぼくは自分の問題を自分の手で解決しなければならないということがわかる。
これがマルクスの「教育的」なところだとぼくは思っています」。
そういえば、瀬木比呂志さんと清水潔さんの『裁判所の正体』(新潮社)が積読になっています。この本を読むことも、檻に幽閉されていることに気がつくための時間になるはず。せめて今年のうちに読んでしまいたいところです。