2017.06.25
大学と企業
こんにちは、大阪発公会計ブログ担当の船戸明(公認会計士)です。
昨日の日本経済新聞を読んで、まず絶句したのは次の記事です。
「政府は23日、安倍晋三首相が表明した「人づくり革命」の基本方針の概要をまとめた」。
まずはあんたから始めてくれ~、とツッコミを入れたのは、私(と家族)だけではないはず。それにしても人をつくる「革命」って、言葉づかいが病的だと思います。何かをすれば、人がその通りに動く。そう思っている時点で、既に相当傲慢な考えだと思いますし。
記事を読み進めていくと、大学についての提言もありました。
「新たに取り組むのが大学改革だ。地方大学では定員割れで、経営難に陥っている大学が相次いでいる。国際的な競争力も低下しており、経営面でのテコ入れが不可欠だと判断した。具体的には企業に順守を求めているガバナンスコード(統治指針)を、大学向けにも作成することを検討。大学の理事会に、企業の社外取締役にあたる民間人を起用することを義務付ける。経営の透明性を高め、民間企業などから寄付を受けやすいようにする」。
大学というのは、教育の場だと、私は思っています。教育と企業経営の決定的な違いは、時間軸のずれから来る投資効果測定の不可能性ではないでしょうか。
企業が投資をする。
投資には、それに見合った効果(利益)が求められる。
企業に出資してくれるのは株主・投資家。
そういった人たちへの説明責任から、投資がどう利益を生むかの説明も求められる。
一方の大学はどうでしょう。
学生を教育する。
その教育がいつ花開くかという成果を説明するのは極めて難しい。
人の才能がいつ、どうすれば開花するかを、体系だって説明することは不可能。
一見無駄と思える投資も継続しておく懐の広さが必要。
投資対効果の検証・説明が必要な企業。
投資対効果の検証・説明が不可能な大学。
その前提認識を欠いたまま、企業的発想を持った「民間人」を大学に投入したらどうなるか。きっと、無駄は排除され、成果を出さない人間は切り捨てられ、教育現場はますます退廃していくことになるのではないでしょうか。
大学経営が、内部の目だけでいいとは思いません。外部の視線を入れて考えていく必要もあるでしょう。でも、そもそも流れている時間も、活動の本質も、何もかもが違う。その違うという認識をまずは共有しないと、勘違いした方向に流れていってしまうのではないかと、私は思います。