2017.01.22
意識されない権力性
こんにちは、大阪発公会計ブログ担当の船戸明(公認会計士)です。
新幹線で東京に向かうと、新横浜駅に着く前にアナウンスが入ります。
「この列車は、ただいま小田原駅を時刻通りに通過しました。あと約10分で新横浜駅に到着します」
うろ覚えですが、こんな車内放送です。
その「耳」でしか聞いたことがなく、「足」で訪ねたことのない小田原市が、ここのところ、メディアを賑わしていました。「保護なめんな」ジャンパーの話題です。
もうさんざん報じられている(たとえばコチラ)ので、改めて取り上げようとは思いません。ただ1つ、その謝罪の仕方を見てみると、当初小田原市の会見では、「ご不快な思いをさせてしまって深くお詫びをさせていただきます」でした。先の記事でも、市長の「市民に誤解を与えることのないよう指導を徹底したい」とのコメントが報じられていました。
思い出したのは、かつてある税務調査で体験した光景です。調査対象は個人の方で、現場(ご自宅)での調査が終わり、後日、結果を協議しに税務署に伺った時のこと。担当者を訪ねたのですが、不在だと。は?と思い確認してもらうと、その納税者の方の自宅に行っているとのこと。
こちらの確認不足もあったのですが、結果の協議について電話でやり取りした限り、再度ご自宅を訪問するなどという話はありませんでした。
最終的には担当者に税務署に戻ってきてもらい、税務署で話をしたのですが、この時痛烈に感じたことがあります。
それは、公権力を持った人が、いかにその権力に無自覚であるかということ。
そして、無自覚に振るわれる権力ほど、恐ろしい暴力はないということ。
一般的に言って、「税務署の方が来る」というだけでも、一個人にとっては相当身構える事態でしょう。つまり、一対一で同じ人間同士が向き合うにしても、既にそこにはアンフェアな力関係が構造的に存在しているのです。
かつて歴史的財産とも言える文芸活動の補助金を削減しようとした自治体がありました。弁護士出身の首長は、その芸能活動を行なう人たちと「オープンな場」で議論することが「フェア」だと言いました。
でも果たしてそうでしょうか。一対一で向き合うことがフェアなら、私が白鵬関と相撲しても条件は同じで勝たなければならない。私が羽生さんと将棋してもハンディなしで勝たなければならない。それが「フェア」だとは、私は思いません。
話がそれましたが、小田原市の問題も、公権力を構造上身に付けている人たちが、いかにその権力性、暴力性に無自覚であるかが露呈した問題ではないかと私は思います。市民に不快な思いをさせるとか、市民に誤解を与えるとか、だから謝罪するとか、そういうこと以前に、自分たちは権力性ゆえに構造的に市民に不快な思いを与えうる存在なんだと自覚することが大事なのではないでしょうか。しかも、職員1人1人が、です。
同じような問題が繰り返し起こるのはなぜなのか、を見つめていきたいと思います。