2014.04.20
地名と作品
こんにちは、大阪発公会計ブログ担当の船戸明(公認会計士)です。
「小さく短く息をつき、火のついた煙草をそのまま窓の外に弾いて捨てた。たぶん中頓別町ではみんなが普通にやっていることなのだろう。」
一昨日発売された村上春樹さんの短編集『女のいない男たち』(文藝春秋)。その中に「ドライブ・マイ・カー」という作品がありますが、文藝春秋という雑誌に掲載された時点では、冒頭に紹介した文章が含まれていました。
これに抗議をしたのが、中頓別町の町会議員、宮崎泰宗氏です。
「ノーベル文学賞候補となる作家が事実と異なることを小説にしたことが町のイメージダウンにつながり、このまま放置すれば、本町への偏見と誤解が広がる訳ですから、作家に遺憾の意を伝え、なんらかの対処を求めることの緊急性は高いと思います。」
(「TEAM中頓別〜今そして未来の青空へ〜」 2014/01/30)
これを受けて、村上さんはコメントを出されました。
「僕は北海道という土地が好きで、これまでに何度も訪れています。小説の舞台としても何度か使わせていただきましたし、サロマ湖ウルトラ・マラソンも走りました。ですから僕としてはあくまで親近感をもって今回の小説を書いたつもりなのですが、その結果として、そこに住んでおられる人々を不快な気持ちにさせたとしたら、それは僕にとってまことに心苦しいことであり、残念なことです。」
(スポニチ、 2014/02/08 05:30)
そして、今回の単行本化にあたり、地名は架空のものに差し替えられています。
「『ドライブ・マイ・カー』は実際の地名について、地元の方から苦情が寄せられ、それを受けて別の名前に差し替えた。
・・・(中略)・・・小説の本質とはそれほど関係のない箇所なので、テクニカルな処理によって問題がまずは円満に解消してよかったと思っている。」(P.12)
もし、自分の住んでいる街について、車の窓からたばこを捨てることをみんな普通にやっている、と書かれたらどう思うでしょう。
実際に書かれていないので何とも言えませんが、そもそも、そんなことを「みんなが普通にやっている」街などあるのでしょうか。たぶん、ないでしょう。それは、おそらく多くの方が同意してくれることだと思います。だとすると、たぶん、ないことを、小説に書かれたから、街に悪いイメージが伝わる、というロジックには、少々無理があるような気もします。村上さんがそう書いたからといって、中頓別町に悪いイメージが広がるようには思えないのです。
ただ、これは、先にも述べた通り、自分の街でないから抱く思いかもしれません。その辺りは割り引いて読んでもらわないと困るのですが、それでも、もし宇治市のことを村上さんが書いてくれたら、私など、小躍りして喜んでしまうと思います。特定の街を、リスペクトことすれ、悪意をこめて書く人でないことくらい、過去の作品や日常の言動を拝見すれば、理解できることですし。
村上さんご自身は、親近感を持って書いたとおっしゃっています。事実、その通りなのだと思います。
一方、宮崎氏はブログの最後に、「郷土への愛と誇りが試されている」と書かれています。
郷土愛にもいろんな形がありうる。その懐の広さこそが、郷土愛の1つの形でもある。一連の騒動から、そんなことを感じています。
そして何より、先ほど購入した『女のいない男たち』を読める時間を、早く作りたい。これが、切なる願いです。