2014.04.05

効率化という名の嵐

こんにちは、大阪発公会計ブログ担当の船戸明(公認会計士)です。
 今日の日経新聞文化欄に、「芸能資料どう残す」という記事が掲載されました。
 落語や漫才などの「笑芸能」で知られる関西の演芸。その資料を収蔵する大阪府立上方演芸資料館(ワッハ上方)が存亡の危機に立っている、という話です。
 1996年に開館したワッハ上方。
 寄贈などで集まった資料は約6万5千点。
 ところが、2008年、当時の橋下大阪府知事の財政再建策により、赤字施設の1つとして運営効率化の検討が始まった。
 予算やスタッフ人員が縮小。
 昨年5月には映像・音声のライブラリーを残し、資料の常設展示場を廃止。
 以後、大阪市立中央図書館やピッコロシアターなどでの館外展示を開始。
 こうした動きの背景にある大阪府の一貫した姿勢は、「(来館者)数は民意」だと言います。その上で記事では、「正論に聞こえるが、芸能資料への敬意は伝わってこない」と指摘しています。
 まったく同感です。
 最近のいろんな物言いの中に不快感を覚えるのは、「自分が分からないものには価値がない」「数字で測れないものはないも同然」とする価値観が蔓延していること。
 相手や対象を理解していないだけならいいでしょう。自分の理解できないことの方が圧倒的に多いのですから、それは当然です。ただ、理解できないものを理解しようとする態度を持てるかどうか。いや、そこまで言わないにしても、理解できないものに敬意を払う気持ちを持てるかどうか。自分が理解できないものには価値がないとするのではなく、自分が理解できないものを理解して大切に思う人がいることに、想像力が働くかどうか。その想像力の有無が問われるべきではないでしょうか。
 思い出すのは、大阪市が文楽協会に支給する補助金減額の話です。実際、入場者数が基準に達せず、補助金は730万円減額(25%減)の2170万円になりました。1月27日の日経新聞で報じられています。
 文楽に関して書かれた文章で、私が知る限りもっとも説得力あると感じたのは、コラムニスト小田嶋隆さんの文章です。小田嶋さんは、これまで文楽を1度もご覧になったことがありません。かつ、「多くの人々にとって、文化や芸術は、そもそも不要なものなのである」という前提に立ちつつ語られた抑制の効いた文章は、今でもたまに読み返すほどで、類まれなる名文だと私は思います。
(全文はこちらから)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20120712/234415/?P=1

 古いものを新しいものさしで評価すると価値が毀損されるだけ。小田嶋さんのご指摘ですが、今日の日経新聞でも早稲田大学演劇博物館の児玉副館長は「芸能資料の価値を現在の評価基準だけで決めるのは傲慢」とおっしゃっています。
 そもそも自治体などの公的部門において、「数」だとか「効率化」だとかが、「民意」や「民間の思想」としてもてはやされるようになったのはいつ頃からなのでしょうか。
 もちろん、民間的な(「企業的な」と言い換えてもいいでしょう)思想を入れていく必要がある部分もあるでしょう。でも、そろそろ、一度リセットした方がいいと思います。
 たとえば「民意」という言葉。選挙の結果がすべてであるかのように、「多数決」と同義くらいの意味で「民意」という言葉があまりにも軽んじられている。そう感じる機会が増えてきました。
 あるいは、「民間の思想」。民間も万能でないことは、公募された区長だの校長だのの不祥事を指摘するまでもなく、明らかなことだと思います。
 そういった浮ついた言葉に惑わされることなく、真に守っていくべきものは何なのか。しっかり見つめていかなければならないと、私は思います。


CONTACTお問い合わせ

PAGE TOP