2015.01.18

世知辛い話

こんにちは、大阪発公会計ブログ担当の船戸明(公認会計士)です。
 15日の京都新聞を読んでいて、ずいぶん世知辛い世の中だなあ、と感じた記事が2つほどありました。
 1つは、京都の吉田神社で毎年節分に開かれている神事の形式が変わるという話。
「例年、大勢の参拝客でにぎわう吉田神社(京都市左京区)の節分祭の神事の一つ「火炉祭(かろさい)」が、今年は伝統と異なる形式で営まれる。古いお札を焼いた後に残る灰の処分方法の変更を京都市に求められ、費用の工面ができず、焼くことを断念したという。参拝者の古札の持ち込みは例年通り受け付けるが、室町時代発祥の神事を大きく変えざるを得ないという」。
 従来、トラック3台分にものぼるという焼却灰は、一般廃棄物として処分。神社側は、京都市から飛散防止のために袋詰めを要請されたとしており、それができないので産業廃棄物にしようとしたところ、処理施設側と条件が合わなかった、としています。
 市側の説明と若干食い違っているようですが、ともかく伝統行事の形式は変更せざるを得ない状況なのだとか。吉田神社の節分祭(の火炉祭)に行ったことはないのですが、これでいいのかと感じてしまいます。
 もう1つは、初詣を迎えた神社の参拝殿から「鈴」がなくなっている、という話。
 初詣に行くと、お賽銭を入れて、鈴を鳴らして、二礼二拍手一礼をする。日本人として、深く身についた習慣だと思っていました。その鈴を、初詣期間に取り外す神社が相次いでいる、と。
「「混雑と危険防止の為 『鈴の緒』は はずしております」。関西随一の初詣の人出を誇る伏見稲荷大社(伏見区)では新春、本殿の上にこう大きく書かれた看板が掲げられた。
 以前は数本の鈴の緒を取り付けていたが、「それぞれの緒に参拝者の長蛇の列ができ、境内からはみ出るまでになった」と神職。2年前から初詣期間に緒を鈴ごと外したところ、気長に順番を待っていた人々の列が解消され、さい銭箱の前で参拝者が効率よく入れ替わるようになった」。
 初詣の参拝者が「効率よく入れ替わる」って・・・
 神様と効率。もっとも縁の遠い世界にある言葉ではないのでしょうか。
 書いているだけでも気が滅入ってきますので、この辺りでやめておきます。信じる心は、信じ続けることで報われるのであって、決して見返りを求めるようなものではなないと信じながら。


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