2014.10.19

GDPと豊かさ

こんにちは、大阪発公会計ブログ担当の船戸明(公認会計士)です。
 今日10月19日の日経新聞に、元米大領領のアル・ゴア氏のインタビュー記事が掲載されていました。
 その中で、資本主義経済が持続可能なのかという問いに対して、ゴア氏は次のように答えています。
「資本主義が持続不可能だとは考えていないが、改革は必要だ。たとえば我々は国内総生産(GDP)を成長の指標としてよく使うが、大きな欠陥がある。1937年にGDPを考案した経済学者サイモン・クズネッツ氏は『GDPを経済政策の指標に使ってはいけない』と述べた。GDPは政策形成に重要な項目を考慮に入れていないからだ。・・・GDPは環境汚染を評価できず、教育や医療、地域サービスの利点を測定することも可能でない。成長をどのように測定すべきか考え直さなければならない。」
 なるほど、創始者自身もそう考えていらっしゃったのですね。初めて知りましたが、納得です。
 思い出した記述を、少し長いですがご紹介します。1968年3月18日、カンザス大学で行なわれたロバート・ケネディ上院議員の言葉です。
「GNPの額には、大気汚染を引き起こす活動、タバコの広告、ハイウェイ事故の無残な死体を片づける救急車の出動の費用も含まれています。犯罪が増えて必要になる頑丈な錠前の値段も、それを壊す強盗を収容する刑務所の費用も含まれます。都市が無秩序に拡大して、レッドウッドの森が破壊され、自然の素晴らしさが失われても、それはGNPを増やします。戦争に使うナパーム弾、核弾頭、それに都市の暴動に立ち向かう警官の装甲車の費用もGNPに含まれます。狙撃魔ホイットマンが使ったライフルも、殺人鬼スペックがふるったナイフも、子どもたちにおもちゃを売るために製作される暴力を賛美するようなテレビ番組も、その価格はGNPに含まれます。
 一方でGNPは、子どもたちの健康や、教育の質や、楽しく遊ぶことなどを計算には入れません。美しい詩、夫婦のきずな、公開討論に見られる叡智、公務員の高潔さなども、GNPには関係しません。GNPは、人々の機知、勇気、知恵、学び、思いやり、国への忠誠などを測ることはできません。要するに、生きることを価値あるものにしてくれるものは何も測れないということです。GNPはこの国の国民でよかったと胸を張れるようなことは何も語ってくれません。」
(『経済成長って、本当に必要なの?』ジョン・デ・グラーフ/デイヴィッド・K・バトカー、早川書房、P.38)
 成長率だとか、経済成長だとかを、毎日のようにメディアで目にします。でも、経済成長と生活の豊かさとは、何の関係もないと、私は思います。
 仕事の話をしていて、自分の抽斗が開く瞬間。
 地元の子どもたちと話していて、その目の輝く瞬間。
 近所をごみ拾いしていて、ご苦労さんと声をかけられる瞬間。
 思ってもいなかった会話が展開して、相手の表情ががらりと変わる瞬間。
 そういう1つ1つの小さな瞬間に、ぐぐっとこみ上げてくるものを感じる。それこそが、豊かさではないかと思うのです。
 最後にもう1つ、かつて国民所得倍増計画を立案し、日本の高度経済成長の理論的支柱として活躍された下村治さんの言葉を紹介しておきます。
「では、本当の意味での国民経済とは何であろうか。それは、日本で言うと、この日本列島で生活している一億二千万人が、どうやって食べどうやって生きて行くかという問題である。この一億二千万人は日本列島で生活するという運命から逃れることはできない。そういう前提で生きている。中には外国に脱出する者があっても、それは例外的である。全員がこの四つの島で生涯を過ごす運命にある。
 その一億二千万人が、どうやって雇用を確保し、所得水準を上げ、生活の安定を享受するか、これが国民経済である。」
(『日本は悪くない 悪いのはアメリカだ』文春文庫、P.95)
 もう30年も、50年も前の叡智に、今こそ学ぶべき点が多いのではないかと感じます。


CONTACTお問い合わせ

PAGE TOP