2014.10.05
人はモノではない
こんにちは、大阪発公会計ブログ担当の船戸明(公認会計士)です。
9月25日の日経新聞『経済教室』は、「地方再生の視点」というタイトルで、豊橋技術科学大学学長の大西隆さんが寄稿されていました。
まず大西さんは、日本の人口問題を1)総人口の減少、2)高齢社会、3)東京圏への人口の偏り、という3つの側面に分類されています。
「社会の仕組みや生活の仕方を変えて結婚や子供数の希望を実現できる社会」
「鉄道駅周辺や主要道路の結節点周辺に移住して、コンパクトな共助社会」
そんなご提案をされていますが、どうもピンときません。
確かに人口は減少していくのでしょう。高齢化も少子化も、傾向としては続いていくのでしょう。でも、こうした傾向は、戦後ずっと経済成長を追い求めてきた結果として、起こっていることなのではないでしょうか。
内田樹(たつる)先生や平川克美さんが繰り返し指摘されていますが、企業が成長するためには共同体を解体し、家族を解体し、とにかく世帯を分散させる必要があった。みんなが一緒に住んでいれば1台ですむテレビが、それぞれ独立することで3つも4つも必要になる。そうやって細分化された消費単位のもとで、企業は経済成長を遂げてきた。
医療が進歩すれば、高齢化する。
女性の社会進出が進めば、晩婚化は加速し、少子化は避けられない。
ことほどさように、これまで追い求めてきたことの結果として、高齢化も少子化も人口減少も起こっている。つまり、これらの現象は「問題」ではなくて「結果」だということですね。
ちなみに、大西さんの文章で、びっくりした表現がありました。東京の一極集中を是正するという話の流れの中で、こうおっしゃっています。
「今後は図のように東京圏も人口減少に転ずるので、全国に人材を配ったり、企業を分散させたりする余裕はなくなる」。
人材を配る?
何かの間違いではないか。
そう思って何度も読み直したのですが、そう書いてあります。
配給のお米じゃないんですから、その表現はないんじゃないでしょうか。しかも、相当上から目線ですし。
そもそも「人材」という言い方もどうかと思いますし、最近よく耳にする「女性の活用」という表現も、ずいぶん失礼な物言いだと感じます。
そういう人を人と思わないような表現に違和を感じない人たちが人口問題を論じている。その状況そのものに、暗澹たる気持ちを抱いてしまいます。