2014.08.10
隔世の感は・・・
こんにちは、大阪発公会計ブログ担当の船戸明(公認会計士)です。
先日、久しぶりに公会計の研究会を傍聴しました。
総務省が主催している「今後の新地方公会計の推進に関する実務研究会」です。
その第1回(5月28日開催)に配布された開催要綱の「背景・目的」には、次のような記載があります。
「「今後の新地方公会計の推進に関する研究会報告書」(平成26年4月30日公表)において示された統一的な基準による財務書類等の作成について、より詳細な取扱いを定めた要領等の作成に係る実務的な検討を行うため、「今後の新地方公会計の推進に関する実務研究会」を開催する。」
実は、実務研究会の第1回と第2回(6月24日)には参加していませんでした。ですので、こうした研究会に参加するのは、おそらく半年ぶりくらい。
きっと隔世の感があるのだろう、と思っていたのですが・・・
研究会の話を聞きながら、ふと別のことを考えていました。そもそもこういった会議の場は、何のためにあるのだろう、と。
会社でもそうですが、とにかく組織あるところに会議があります。会議の目的を思いつくままあげてみると、
物事の決定
決定事項の報告、共有
進捗状況の報告、方向修正
アイデア出し、アイデアの昇華
・・・
これらは会議を設定した側からの目的であって、参加した側にとっては、
あの人には伝えたというアリバイづくり
自分の思いは伝えたという身の保全
といった意味合いを帯びることもあるでしょう。
この総務省の研究会について、少なくとも私が傍聴した限りでは、議論が白熱し、時間が延長になったことはありません。毎回、時間になると「そろそろ時間ともなってきましたので」と座長が引き取られます。
会議を長くやればいい、というようなことを言いたいのではありません。単に長いだけの会議がいかに非生産的かについては、あらためてここで指摘するまでもないでしょう。ただ、総務省の研究会に参加したメンバーの発言によって、何か化学反応が起こって、新しい創造性が生まれたというシーンには、残念ながら出くわしていないなと思うのです。
もちろん、会議の下準備は大変でしょうし、その中でいろんなことが決まっているのかもしれません。時間ですから、と引き取られた議論も、その後、いろんな調整が行なわれているのだと思います。
ただ、半年ぶりに傍聴させてもらった会議でも、隔世の感を覚えることはなく、つい「会議とは・・」なんてことをぼうっと考えてしまった。そのこと自体をどう解釈すればいいのか、今、考えているところです。