2014.06.14

地方で生きる

こんにちは、大阪発公会計ブログ担当の船戸明(公認会計士)です。
 4月から放送されているNHK朝の連続テレビ小説『花子とアン』。
 モンゴメリ著作『赤毛のアン』の翻訳など、翻訳家・児童文学者として活躍された村岡花子さん(1893−1968)がモデルとなっています。
 スポーツジムで走りながら、飛び飛びにしか見ていませんが、現在の設定は、東京の女学校を卒業された後、故郷の甲府に戻って小学校の先生をされているところ。
 ただ、花子さん自身は、(ドラマ上)女学校を出た後、東京で就職するつもりでいました。実際、新聞社(出版社だったかも)の面接試験を受け、うちに来てください、という話にまでなった。ところが、娘の帰りを待ち望んでいた母親の気持ちを他の姉妹から知らされ、結局、故郷の甲府に戻る決断をします。
 甲府の小学校で、同期の先生として頑張っているのが幼馴染の朝市くん。その朝市くんが、ある時、花子さんに言った言葉が、印象に残っています。
「はなはどこかで思ってるんじゃないか。自分はこんなところで働くはずじゃなかった、って。」
 自分は東京で就職して、はばたくはずだった。
 ところが甲府の田舎に戻ってきて、先生として働いている。
 そんな花子の潜在的な意識を、ずばりと言い当てた言葉でした。
 少し話は変わるかもしれませんが、2020年、オリンピックは東京で開催されます。私は未だに理解出来ません。なぜ、東京でのオリンピック開催が、そんなに素晴らしいことなのか、が。
 そもそも、オリンピック誘致が東北の復興に絡めて語られた時点で、強い嫌悪感を覚えました。東京でのオリンピック開催が、東北の復興とどう関係するのか。オリンピック開催より真っ先に進めないといけないことが、たくさんあるのではないか。結局は東京が潤うだけで、東京で潤った恩恵が東北に回ると本気で信じているのか。
 西村佳哲さんの『いま、地方で生きるということ』(ミシマ社)を、かつて読みました。文字通り、地方で生きる覚悟を持たれた方々を西村さんが訪ねられた記録で、全ページからそのエネルギーを感じることが出来ました。
 たとえば宮城県登米市でカフェを経営されている方のこんな言葉。
「信じている人がつくった物を食べることの方が、農薬使っているとか使っていないといったことより大事な気がするんですよね」(P.88)
 東京一極集中だとか、核家族化だとか、いろんな社会環境の変化で、あまりにも顔が見えない関係が浸透しすぎた。その反動が少しずつ、でも確実に起き始めている。そんなことを感じさせてくれたのが、西村さんの著書でした。
 花子さんの物語がどう展開するのかわかりません。でも、きっと、地元で先生をしていてよかったと思える瞬間が来るのだろうと思います。それをNHKがテーマとして考えているのかどうかは、わからないのですが。


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