2016.02.14

病院の競争?

こんにちは、大阪発公会計ブログ担当の船戸明(公認会計士)です。

 少し前ですが、4日の日本経済新聞に、「大病院の実績 開示義務」という記事が、確か1面トップで報じられました。

 その冒頭には、こうあります。

「厚生労働省は2017年度から全国の大病院に治療実績の公表を求める。年齢や進行度別の患者数のほか、診療科や病気ごとの平均入院日数をホームページ(HP)で発表しなければ、病院が受け取る診療報酬を減らす。患者が病院の得意分野を比べて受診先を選びやすくする。病院の競争を促すことで医療の質の向上と効率化を促す」。

 競争より、共存だろう。

 記事を読んで、最初に浮かんできた思いです。

 どんな集団も、存続している集団には、祈り(宗教)、癒し(病院)、学び(学校)、赦し(裁判)、という4つの仕組みが必ず組み込まれている。それらなくして、存続し続けた集団はない。そうおっしゃったのは、思想家で武道家の内田樹(たつる)先生です。

 こうした4つの仕組みは、その本源的意義からして、「市場」や「貨幣」といったところからはもっとも遠いところにあるはず。ところが、今、学校にも病院にも、競争や効率化や等価交換といった市場原理が入り込んできている。その状況に危機感を持ったほうがいい。

 そんな警告も込めた指摘なのではないかと、私は理解しています。
 
 
 最近のルールを見ていると、ルールの本質がそうだと言えばそれまでですが、性悪説に基づくものが多すぎるような気がします。

 冒頭の記事を見ても、

「実績を公表」→「医療関係者の仕事ぶりがオープンに」→「さぼれない」

という構図が見て取れます。ということは、逆に言えば、

「実績が非公表」→「何をしてもばれない」→「適当に手を抜く」

という発想がその根底にある、ということ。医療関係者は、放っておいたら手を抜く。だから競争にさらし、衆目にさらさなければならない、という懲罰的発想です。
 
 
 実際、現場ではそうなのかもしれません。目に余るものがあるのかもしれない。

 それでも、と思います。性悪説ルールのもと、医療機関関係者は快適に働くことができるのでしょうか。学校にしても、病院にしても、教師や医者を批判することは簡単ですが、結局、集団維持の仕組みを担ってくれるのも教師であり、医者であるわけです。であるなら、現状の問題は問題として、その当事者と真摯に向き合い、快適に仕事ができる環境を整えることこそ、必要なのではないでしょうか。
 
 
 繰り返しますが、学校や病院は競争よりも、共存です。競争で淘汰されれば、学びや癒しの場がそれだけ削減されるということ。そういう社会が目指すべき豊かな社会だとは、私には思えません。


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