2014.02.01

数値に出来ない価値

こんにちは、大阪発公会計ブログ担当の船戸明(公認会計士)です。
 今日の日経新聞に「国の債務超過 477兆円に拡大」という小さな記事が掲載されていました。
 財務省がまとめた2013年3月の貸借対照表によれば、資産が負債を上回る債務超過は477兆円で、前年に比べて17.7兆円増えた、と。
 記事の最後は、こう結ばれています。
「国の貸借対照表は企業会計の手法で実施している。資産は原則、時価ベースで評価するが道路や河川など現金化を想定していない財産も評価対象に含んでいる。」
 少し嫌味な、皮肉をこめた書き方だと思ったのですが、考えすぎでしょうか。
 道路や河川なんて資産を評価しなければ、もっと債務超過は多いんだよ。何だかそんな声が聞こえてきそうな気がしてなりません。
 先月、東京都小平市を訪ねました。といっても、訪ねたのは市役所ではなく、西武鉄道国分寺線鷹の台駅すぐそばにある「雑木林」です。あるいは、その近くを流れる「玉川上水」です。
 緑が多いことで知られる小平市のこの一帯は、散歩の名所。雑木林では、散歩や太極拳に利用されるほか、どんぐりを拾ってお弁当を食べたり、美術品を展示したり、様々なイベントが開催され、近隣の住民の皆さんの憩いの場となっています。そう言えば、先日読み終えた村上春樹さんの『ノルウェイの森』にも描かれていました。
 そんな雑木林や玉川上水にかかる形で、現在、都道328号線の建設計画が実行に移されつつあります。昨年、住民投票が行なわれたことを耳にされたことがおありかもしれません。都道が建設されると、こうした雑木林も半分以上が失われてしまうのだとか。
 ご案内いただいた地元の方と、コーヒーを飲みながら話をしました。雑木林の意義を数値で示そうという話も出ているんです、とその方はおっしゃいます。道路建設の効果を数値で示される以上、雑木林を残したいと思えばその価値を数値化する必要があるのではないか、と。
 初対面で失礼とは思いつつ、私は申し上げました。
 数値化はしない方がいいと思います。
 確かに、他の場所を借りてイベントをした場合のコストは計算出来るでしょう。そのコストが、雑木林の存在意義だという主張も出来るかもしれない。でも、雑木林の存在意義は、そんな数値で測れるほど、ちっぽけなものではないはずです。たった1日行っただけの私でも感じられる意義が、そこにはありました。
 休日に雑木林を散歩して養われる英気。
 どんぐりを拾うことでおこる子どもたちの歓声。
 雑木林の中から眺める夜空の美しさ。
 空間をライトアップすることによる幻想的な風景。
 なぜそれが大事なのかと言えば、日ごろ、お金やら成績やら、常に数値に追われ続けている人の心を癒してくれるからではないでしょうか。そうした時間と空間を共有したいがために、たくさんの人たちが集まってくるように感じました。
 雑木林を残したい。その気持ちを訴えるために大切なことは、金額で考えても残す価値があると主張することではなく、金額で測れないものにも価値があることを愚直に訴えること。金額やらテストの点数やら、数値で測れるものにしか価値がないとする風潮に、違和を唱え続けること。私はそう思います。
 飲食店でもクーポン券を出すお店があります。あの考え方が、私にはどうしても理解できません。「価格」という土俵で競い合って、資本力のある大手に勝てるはずがない。だったら、どう安くするかではなく、どうやって同じ土俵に乗らないか、を考えるべきではないか、と。
 それと同じで、雑木林についても、金額という同じ土俵に乗らないことを考えた方がいいと、私は思ったのです。
 話がそれました。国の貸借対照表の記事でした。
 債務超過が477兆円。なるほど。最近、こうした数字にどれほどの意味があるのかを、考え続けています。


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