2016.01.10

何本もの木が

こんにちは、大阪発公会計ブログ担当の船戸明(公認会計士)です。

 数年前、子どもたちが通っていた保育園にあった桜の大木が切り倒されました。常に渋滞気味だった駐車場を拡張するために。

 入園式や卒園式では、必ずといっていいほど、写真撮影スポットになっていた大木です。確かに渋滞はなくなったかもしれませんが、もっと大切な何かがなくなったのではないかと思います。
 
 
 昨年夏頃でしょうか。小学校の小さな校庭(通称「しょううん(小運動場の意味?)」)にあった4、5本の桜の木がなくなりました。おそらく、しょううんを大幅に改造するのでしょう。今でもフェンスに囲まれ、工事中です。

 どんぐりの木と一緒に鬱蒼としたジャングルの様相を呈していたのですが、その「得たいのしれなさ」を感じる機会がなくなってしまったように感じます。
 
 
 つい1か月ほど前。最寄り駅前の公園にあった、それはそれは大きな木(何の木かはよくわかりません)の枝や葉っぱが、全部切り落とされてしまいました。夏には、いい木陰を作ってくれていた木です。

 この木、スズメたちの宿でした(たぶん)。朝になったら、一斉に飛び立ち、夕方になったら一斉に戻ってくる。その姿と賑やかな鳴き声が、今も耳に残っています。そのスズメたちは、どこに住処を移したのでしょうか。
 
 
 街から木がどんどん奪われていきます。一方、木材を使って新しくできる家やお店。最近、近所に「デザイナーズカフェ」がオープンすべく、工事中です。

 木があることで感じる美しさや鬱蒼とした景色や生き物の息づかいは、失われればなかなか戻らない貴重なもの。失われるものと、できあがるもの。街全体で見たときに、どうしてもアンバランスな印象を持ってしまうのですが、果たして、どんな「カフェ」ができるのでしょうか。


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