2015.04.19

第5回 19年前の中国一人旅

【19年前の中国一人旅 西寧(シーニン)~ゴルムド~ラサ(チベット)編】

このシリーズは私が大学4回生の時(19年前)に中国一人旅した際の道中に書いた日記を記載したものです。前回は、私が蘭州~西寧にかけての珍道中を記載いたしましたが、今回は西寧~ゴルムド~ラサ(チベット)にかけての日記を記載したいと思います。

 今回のブログに記載の旅行期間:平成7年8月27日~9月1日

今回のブログに記載の旅行行程: 西寧(シーニン)~ゴルムド~ラサ(チベット)

【8月27日 天気:晴れ】

 今日、8:00に目覚め、ゴルムドまでの列車のチケットを買いに行った。それにしても、寒い。8月だが標高2,200mある西寧では白い息が出ている。おそらく10度以下だろう。半袖の俺は、ちょっぴり寒い。。。それでも元気にチケットを買いに行くと、切符売り場はまだ閉まっており、しかも中国人のおじさんに聞くと、明後日のチケットしか買えないという。がっかりして、バスチケット売り場へ行き、バスでゴルムドまで行けるかと聞くと、当日便で行けると言う。しかも一人45元(ゴルムドまでは、バスで約18時間)。俺は即購入した。今日の午後2時30分の便である。おかげでご機嫌になり、その前にあった市場で、青りんご、洋ナシ、桃、バナナを買い、さらに油条(ヨーチャオ)という細長い揚げパン?みたいなものを買って食べた。市場の人といっぱい仲良くなって、写真を結構撮った。

【西寧の市場のおじさん達】

  EPSON MFP image

 午後2時30分にバスに乗り込んだが、バスが満員になるまで出発せず、結局午後4時に出発した。非常に狭いバスだが、道中では隣の中国人のおじさん(叶さん42歳)とよくしゃべった。叶さんは、ゴルムドの手前で降りると言う。その後ろの中国人のおじさんともよくしゃべった。後ろのおじさんは、出発する時には必ず歌を歌うのでおもしろかった。二人が写真を撮って中国へ送ってくれというので、住所と名前を書いてもらった。

 日が暮れて、真っ暗な中をバスは走った。日本と違って街灯は全くないので本当に真っ暗だ。バスの中も暗いが、時折後ろから聞こえてくる歌声がまた不気味というか、この辺りの雰囲気を醸し出しているというか、そんな気分だ。

 それにしても、バスの発車ぐらいから体調が悪く、熱っぽいし、頭を振ったら痛い。ヤバい様な気もするが、ご先祖様やお守りを信じて、『俺を守ってください』と祈った。バスは、2時間に1回ぐらい休憩をはさみ、西へ西へと進んだ。狭いバスの中、ひざが前の席の金具に当たって非常に痛い。

 何時間もバスに揺られていると、ふと高校時代を思い出した。野球部の遠征に行く時は、確かこんな感じだったよなー。荷物を抱いて、そんな事を思い浮かべながら、ウトウトしては起き、ウトウトしては起きを繰り返した。

  

【西寧~ゴルムドのバス内にて、隣のおじさん】

EPSON MFP image

 

【8月28日 天気:晴れ】

 今日、午前9時頃にゴルムドに到着した。ざっと、17時間の旅だった。途中、焦げ臭い匂いがしたと思ったら、バスの中を通っている排気管?(暖房目的のようだが、かなり熱い)みたいなものに、俺のズボンが当たっていて焦げていた。危うく、火だるま寸前?ほんと、中国は大変だ。

 体調が思わしくないので、とにかく早く宿に着いて寝たく、ゴルムド市政府招待所を探して歩いた。何10分も歩いてようやく見つけた。1泊17元+ディポジット10元で泊まれることとなった。さあ寝ようと思ったが、一緒の部屋の香港人が、とにかく話しかけてくる。寝させてくれと言っても、すぐに飯に行こうとか、誘ってくる。同じ部屋の日本人たちも、楽しそうに話をしているので俺は結局夜までなかなか寝ることができず、深夜0時を過ぎてようやく眠った。

 

 【8月29日 天気:曇り ~ 8月30日 天気:曇り】

 体調不良により、ゴルムドで静養。ちなみに、ゴルムドは標高2,800m。

 

【8月31日 天気:曇り時々晴れ】

 今日、かなり不快な目覚めだった。夜中、咳が出てほとんど眠れなかった。午前10時にバスターミナルに行き、手続きをしてチベット(ラサ)行のバスに乗った。俺は、具合が悪く咳が出て、熱も少しあったけど、強行することにした。(このゴルムド~チベットのバスは3日間かかり、5,000メートル級の峠を2回超える超過酷なバスで、毎年何人か高山病で死亡するという極めて危険なバスであった。本来、体調の悪い時に乗る事自体が非常識であり、真似をしてはいけません)

 午前10時にバスは出発した。いよいよ、チベットの区都ラサへ出発である。体調は悪いが、ここは気合で乗り越えよう。バスはどんどんゴルムドの街を離れ、山を登って行く。ゴルムドが2,800m、そこから一気に4,000mまで上昇する。一緒のバスの日本人(小谷君)は、高山病で頭が痛そうだ。途中で、飯休憩があったが、慢性下痢の俺にはちょっと食事は怖いので、バスの中でビスケットだけ食べ、ペプシコーラばっかり飲んでいた。

 途中、何度か道が通行不可になっていて迂回し、その度に30分~1時間待たされた。4,500m付近から風邪が悪化してきて、咳が連発し、かなり苦しい。咳をすると頭も痛く、何だかヤバい予感がしてきた。次第にそれがひどくなり、気分も悪くなってきた。気温も氷点下となり、所々で外は雪と氷の世界になった。太陽が午後9時頃に沈んで真っ暗になった。バスはどんどん山を登って行き、空気が薄くなってくるのがわかる。できるだけ深呼吸して酸素を多く取り入れようにした。俺たち日本人が結構苦しんでいるのに、チベットの人達は何ともないようだ。さすがだ。しかし、一般の中国人は苦しそうで、『アイヨー、アイヨー』と言って苦しんでいた。

 日付が変わり、午前1時過ぎに標高5,000メートルを超え、寒さと空気の薄さもピークに達してきた(酸素は地上の約半分)。とその時、バスが止まった。。。外を見ると、ズラーーーーーーーーっと前の方まで車が連なっている。

 

『マジかいな・・・。こんな所で止まらんといてや・・・。命やばいな・・・。』

 

 毎年この路線で高山病の死者が出ていることを聞いていた俺は、人生で初めて生命の危険を感じた。高山病で肺に水が溜まって死ぬ『肺水腫』が怖い。そんな俺の願いも空しく、バスはそのまま5,100m地点で立往生してしまった。寒いわ、苦しいわ、咳出るわ、俺の風邪はどんどん悪化していった。ゴルムドで買った酸素缶と咳止め薬を開けたら、何とどちらも空だった。騙された。。。あの店員め~~。

運転手たちが前方に集まって長時間、何やら議論している。そして、一斉に自分たちの車に戻って行った。『動き出すのかな』と思ったとたん、何やら車内で説明があったかと思うと、何と、車内の電気を消してみんな眠りだした。

 

『な、な、何~~っっ!!!』

 

そう、何と明日、明るくなってから考えようということで、今日はここでみんな眠る事になったようだ。5,100m地点で、かつエンジンの切られたバスの中で夜を明かすことになった。(外は氷点下)

 

『俺、ほんま死ぬかもしれへんな・・・』

 

本気で死を意識した。でも、どうにもならないと思ったら、不思議に諦めというか、穏やかな気持ちになった。昔の事をいっぱい思い出した。親兄弟、友達との思い出や、楽しかった事をたくさん思い出した。

 『短いけど楽しい人生だったな。やりたいことは全部やったから、悔いはないな。』

 意識朦朧の中、すごく星空がきれいだったことは明確に覚えている。

 

【9月1日 天気:晴れ】

 昨日のまま、バスは朝9時まで同じところに止まっていた。これ以上の地獄はない。しかし、意識朦朧の中、朝の光が自分がまだ生きていることを実感させてくれた。ご先祖様、神様、仏様、ありがとう。私は、まだ生きているようです。ひどい高山病の人がいたら、間違いなく死んでいただろう。そう思うと、昨夜よりも恐怖を感じた。

 どうやら、バスが止まった原因は、先方の沼地を通過するところで片側通行になっており、そこに両方から突っ込んで、後続車もどんどん突っ込んで動けなくなったようだ。さすが中国、と感じさせられるのは、そこでみんな眠ってしまうところだ。それに対して、みんな文句を言わないのもスゴイ。

 とにかく、9時頃にようやくバスは動き出し、約30分程度でタングラ山口(標高5,321m地点)に到着。バスの道中で、最も標高の高い地点である。やったぞ!という満足感があるが、メチャメチャしんどい。風邪が悪化して、熱もあり、頭も痛く、気分も悪い。バスはずっと下って行き、いくつかの小さな町を通り過ぎたが、俺はほとんど意識のない状態だった。たくさんの夢を見た。日本の友達との夢ばかりだ。俺も結構やばい状態だったと思う。

 バスは、アムドやナチュといったチベットの小さな町を抜け、ラサへどんどん近づいて行った。夕方4時半ごろに飯休憩があったが、俺はそこでも食べなかった。昨日、今日と食べたのはビスケット5枚ぐらいだ。食べると咳が出て苦しいのもあるが、食欲もなく、何よりも下痢が一番怖い。そこでも食べずに、ひたすらラサに着くことを考えた。

 標高が次第に下がってきたためか、体がだんだん楽になってきた。それでも咳と熱はあるようだ。午後8時にようやく太陽が沈み、バスはラサ近郊に入ってきた。標高3,700mもあるが、酸素が多いのがわかる。だんだん頭もハッキリしてきて、改めて過酷な旅だったと思った。旅友達に聞くと、世界で最も過酷なバスだと言っていたが、確かに!とうなずいた。

 ラサは区都だけあって、街灯がついている。チベット自治区30周年だそうで、特別警戒体制になっているようだが、たまたま祭りの真っ最中で、何と町には花火が上がっていた。まさか、チベットで花火が見られるとは。。。ちょっぴり心が温まり、生きている喜びをかみしめながら、ヤクホテルというホテルを探してバスに乗り、午後10時過ぎにホテルに到着した。俺は声がガラガラで、咳込んでいたので、ビールも飲めず、薬をもらって寝た。

 


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